長寿社会の偽らざる現実
私は『文藝春秋』10月号に「延命治療『七つの罪』を越えて」と題する現場ルポを寄稿し、人々がかくありたいと願う「望ましい最期」、中でも多くの人々が口にする「穏やかな死」の前に立ちはだかる「現実の壁」について指摘した。
私の親類に「あなた方は殺人を勧めるのか!」と怒鳴り散らした医師、「陸の上の溺死」と呼ばれる窒息死をもたらす終末期の点滴、人生の最終局面になってしゃしゃり出てくる「東京の娘」……。詳細は記事に譲るが、大声を張り上げて私の親類を恫喝した医師は、奇しくも長期療養型病院の院長である。
私が一連の取材で思い知らされたのは「自分が望むように生きることも難しいが、自分が望むように死ぬことは、それ以上に難しい」という事実だった。
さらに今回のY&M藤掛第一病院事件も含めて垣間見えてくるのは「老いて病に倒れれば死に方も死に場所もままならない」という長寿社会の偽らざる現実である。
ただ、一連の取材では、望ましい最期を阻む壁を乗り越えるための先進的な取り組みについても深く知ることができた。取材では「緩和ケア」「在宅医療」「救命救急」のそれぞれの現場を代表する3人のキーパーソンから話をうかがったが、キーパーソンの1人、公立富岡総合病院の佐藤尚文院長は「早ければ5年後、遅くとも10年後には、医療現場の雰囲気も劇的に変わっている可能性がある」と期待を口にしていた。
厚生労働省による制度的なバックアップ体制も含めて、望ましい最期を迎えるための環境整備は喫緊の課題である。