酔って暴れ「切腹する」
ところが、母は進駐軍の将校の家でベビーシッターをして1晩1ドルも稼いでくる。日本円にして360円。当時からすれば大金ですよ。男が10時間肉体労働をやって「ニコヨン」、つまり240円をやっと稼ぐ時代です。
母のアメリカびいきは相当なものでした。母にとって戦時中の日本軍の思い出は、それはもう不快なものばかりだったようです。「軍部は威張ってばかり。それに比べてアメリカの将校さんはマナーがよくて。負けるはずたい。負けてよかったったい」て。
次男坊の私もアメリカ大好きでね。戦争ドラマ『コンバット!』ばかり見て、(主人公の)サンダース軍曹に夢中だった。ヨーロッパ戦線の戦いぶりとか、もうワクワクして見ていました。それを見たおやじはイライラした声で「こげんうまくゆくか、バカちんが!」とか「鉄砲の音が1発でも鳴ったら、人間動かなくなるったい」とか吐き捨てていました。
12歳上の兄が大学を出て地元の新聞社の試験を受けた時のことです。おやじが兄に「新聞社の試験に出るから、歴代天皇の名前だけは覚えておけ」と言うんです。悲しい声かけですよ。兄が「そんなものが出るわけない。出るならアメリカの歴代大統領たい」と答え、つかみ合いのけんかになりました。まだ小さかった私は、本当に嫌でした。おやじと折り合いの悪い兄は家を出て、姉たちもやがて家を出て行きました。私もおやじと取っ組み合いのけんか、しましたよ。
当時の光景をいま遠くに思い浮かべると、分かるような気がします。おやじには「居場所」がなかったんだと。戦争に負け、軍が解散し、博多に帰ってきた次の日から鉄工所の旋盤工として油まみれで働いてきた。2等兵のごとく自分に従うはずだった息子たちは自分にはまったく理解できない「戦後民主主義の子」になっているわけですから、混乱したことでしょう。そして、米軍将校の家に「女中」のように仕える女房に対する怒りをため込んでいたのだと思います。
おやじは月給1万円そこらの旋盤工でした。子ども5人を抱えて金は出て行くばかりなのに、少ない給料を全部はたいて、飲んでしまうんです。やけ酒ですよ。飲むと暴れ出してお膳をひっくり返す、鉄拳をふるう。そのうち包丁を持ちだして、「飲んだ俺が悪かった。これから切腹する」なんて芝居がかったことを言う。みんなで止めて、母ちゃんはわんわん泣いてね。



