2000年代半ばのマレーシア。和食ブームに沸くクアラルンプールで、寿司店の店頭に掲げられた「日の丸」を見た母が、突如として激しく震え出した。そう明かすのは、中華系住民(華人)のギャリー・リットさん。母の脳裏にフラッシュバックしたのは、占領下の日本軍による凄惨な「華人虐殺」の記憶だった……。

 加害国としての日本でほとんど知られていない、アジアの人々を蝕み続ける“戦争トラウマ”の深層とは。『ルポ 戦争トラウマ 日本兵たちの心の傷にいま向き合う』(朝日新書)特別公開第4弾として、朝日新聞記者の平川仁氏による記事を抜粋してお届けする。

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「すしレストラン」を前に震え出した母

 日本軍が進軍したアジアでも戦争トラウマは生み出されている。

 2000年代半ば。マレーシアの首都・クアラルンプールは、日本車や日本製の家電があふれ、日系企業の進出で和食もブームだった。

 ちょうどその頃、中華系住民(華人)のギャリー・リット(65)は、子どもの誕生日祝いをするために一家で「すしレストラン」に向かっていた。駐車場に車を駐めて店に入ろうとした時、母親のチュー・ヨック・チェンが、全身を激しく震わせ始めた。

「家に帰らないと……、家に帰らないと……」

 母の視線の先には、店頭に掲げられた日の丸の旗があった。

写真はイメージ ©︎GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

 リットは母をなだめた。「お母さん、戦争はもうとっくに終わったよ。そんなことは忘れて、さあ中に入ろう」と。震えが止まらない母にかけたこの言葉が、いかに酷だったのか。リットは後で深く後悔することになる。

母が見た日本軍の「粛清」とは

 母は1933年、マレーシア北部のペラ州で、華人が多数を占める小さな町に生まれた。8歳だった1941年の冬、アジア・太平洋戦争が始まった。日本軍は2カ月ほどで英領マレー(現・マレーシアのマレー半島、シンガポール)を占領した。

 リットが幼い頃、母はポツポツと占領下の記憶を語った。当時を描いた映画をテレビで見ていた時には、日本兵が人々の首を切り落とすシーンで「本当に起きたことだよ」と言った。

 リットが母から聞いたのは、「粛清(スッチン)」のことだ。主に占領初期、日本軍が敵性とみなした華人を掃討する作戦の一端だ。母の記憶では、多くの人々が広場に集められ、日本軍の協力者となった人の前を順番に歩かされたという。その協力者がうなずいた人は連れて行かれ、一部はそのまま帰らなかった。母は、広場の隅から「やめてくれ」という悲鳴が上がるのも聞いた。帰って来なかった人たちは処刑されたと、大人たちが語っていたそうだ。記憶をたどるたびに、母は体を震わせていた。

 そんな話を聞き、過去を思い出すたびに震える母の姿を見て育ったのに、すしレストランで怯える母を、リットは理解していなかった。家には日本製の車やピアノもあり、60年も前に終わった戦争と母の症状が、あの時は結びつかなかったのだ。

「まだ苦しんでいるとは思わなかった。『もう前に進むべきだ』と、思ってしまった」とリットは悔やむ。