記憶すべき戦争の「狂気」
リットによると、マレーシアでは、中華系住民は2割と少数派で、華人虐殺の歴史教育は充実していないという。そのため、被害者のトラウマも「ほとんど認知されていない」とする。心の傷をリットに打ち明けた華人も、いまは多くが世を去った。
リットは2022年、家族の半生を通じて占領下の生活などを描いた書籍『If the Sky were to Fall...(もし空が落ちてきたら)』を出版した。忘却されれば、悲劇は繰り返される。いまも戦火が絶えない世界を見て、そんな懸念を抱く。「赦す。けれども忘れない」。リットが大切にしている言葉だ。
「戦後何十年も、人々は苦しみ続けた。その傷の元となった戦争の『狂気』を記憶し、2度と起きないようにしなければいけない。それを、日本の人にも知ってほしい」。リットは力強く語る。
一方、リットは2014年から、ウクライナの首都キーウなどを年に1、2回訪れ、客員教授としていくつかの大学でシンガポールの経済政策を教えてきた。リットによると、講義は常に盛況だった。1991年のソ連崩壊に伴って経済体系が変わってきたウクライナでは、旧植民地として大きな発展を遂げたシンガポールへの関心が高い。当時は、授業の後にリットを街に連れ出す学生らもいた。ビールと食事を楽しみながら、彼らは「将来は海外に留学して、世界を見てみたい」と夢を語っていた。
しかし、世界を襲ったコロナ禍で授業が中断。さらに2022年には、ロシアによるウクライナ侵攻が始まり、この5年ほどは講義ができないでいる。ロシアのウクライナ侵攻が始まってまもなく、街を案内してくれた学生2人が兵士として前線に送り出され、戦闘中に亡くなったと大学の教授から聞いた。その報に接し、リットは数日眠れなかった。「いまでも彼らの顔が見えます」とリットは言う。
ウクライナでは侵攻から3年が経った2025年現在も戦争が続く。避難を続けたり、空襲警報のたびに隠れたりする学生らの話も届く。「(そうした体験は)戦争が終わっても、長く社会に影響を及ぼすはず」。戦後60年が経っても、日の丸を見て震えた母の姿を念頭に、リットはそう話す。
リットは日本軍の占領についてシンガポールなどの大学で講義したり、戦跡ツアーも実施したりしている。多くの人に知ってもらいたいと、メールアドレス(garylit33@gmail.com)も公開する。「80年前の歴史としてだけでなく、いまも戦争が続く世界への教訓にしてほしい」。それがリットの願いだ。
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アジアで日本軍が残した癒えぬ傷、そしてその記憶に今も苛まれる人々。一方で、悪夢にうなされ酒に溺れた元日本兵たち、その暴力に怯えた子どもと孫の世代……。これまで光が当てられてこなかった国内外の「戦争トラウマ」の深層は、朝日新書『ルポ 戦争トラウマ 日本兵たちの心の傷にいま向き合う』で。



