大統領恩赦で死刑→収監45年に減刑、さらにその後には……
ところが、死刑宣告されたハートは、実際のところそれからわずか約4年半後の1960年6月、アイゼンハワー米大統領(当時)の恩赦によって、死刑から仮釈放を認めない収監45年の刑に減刑された。
1976年に刊行された佐木隆三著『証言記録 沖縄住民虐殺 日兵逆殺と米軍犯罪』(新人物往来社)では、事件から17年近くが経過し、沖縄の日本復帰を3カ月後に控えた1972年2月に、著者が由美子ちゃんの母親・安子さんを訪ねた様子が記録されている。安子さんは、ハートについてこう語っていた。
「犯人ですか? 死刑から減刑されたと聞いていますが、重労働45年といったって、ほんとうはもう、釈放されているんじゃないですか。そんな気がしてならないんです」
それから、遺族はもとより沖縄県民にはハートのその後が分からないまま、約60年が過ぎたある日のことだった。2021年9月23日の沖縄タイムスの報道で、ハートのその後が多くの沖縄県民にも知られることとなる。こんな見出しだった。「死刑の米兵、仮釈放されていた」
「本当はもう釈放されているのでは」との母の予感は、それから5年が経って見事に的中していたのだった。
「仮釈放を認めない」という当初の条件を覆す形で1977年にフォード米大統領(当時)が仮釈放を承認し、ハートは自由の身となった。警備員として仕事をし、その後1981年に57歳で結婚。1984年にオハイオ州の退役軍人病院で60歳にてこの世を去ったという。
ここで振り返ってみよう。事件を受けてハートについて「前科がない」としていた米軍側だったが、実際のところは米軍入隊前に性的暴行未遂と暴行の罪で11カ月収監されていた、その隠された過去を検察側が裁判時に明らかにしていた。
その牙を隠し通したまま由美子ちゃんに近づいたハート。その墓は米国オハイオ州にある。従軍を称えて米政府から贈られた墓石だという。死してなお、ハートは“名誉ある退役軍人”の顔を見せ続けていた。
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