戦後、米軍の統治下だった時期の沖縄でわずか5歳と数カ月(当時の報道では数え年で6歳と紹介)の女の子が性的暴行を受け、殺害されてしまうという残虐な事件が起きた。事件翌日に海辺の近くで発見された遺体には、下腹部から肛門まで切り裂かれたような、目を背けてしまうような傷が残っていたという。
被害女児の名前から「由美子ちゃん事件」として知られるこの事件は当初、通報があった警察が米軍基地内の現場に向かうと、米軍の捜査当局が鑑識を行っており、なかなか手出しができなかった。
犯人は31歳の米兵、アイザック・ジャクソン・ハート。この記事では、ハートがどのように由美子ちゃんを誘拐し、残虐な犯行を加えていったのかを追っていく。なお、以下本文中の表現は、当時の記事や文献に準じている。
当時、夜に子どもが出歩くのは珍しいことではなかった
事件発生当日の朝。この日、由美子ちゃんは自宅のある石川市(現うるま市)内にある伊波城址に、両親と子どもたち4人の6人家族でピクニックを楽しんでいた。美しい眺望と家族で過ごす楽しい時間に、由美子ちゃんははしゃいでいた様子だったという。
昼過ぎに一度帰宅。この時期は沖縄の旧盆の時期で、伝統盆踊りのエイサーの隊列が地域を練り歩いていた。由美子ちゃんは夕方、このエイサーを見ようと、沖縄菓子であるサーターアンダギーを片手に家を出たのが、家族と過ごした最後の時間となった。
石川市はエイサーが盛んな地域で、現在の道路事情でも車で1時間ほどかかる那覇市内から見物人が多く訪れるほど賑わっていた。そんなどさくさの中で、由美子ちゃんは行方をくらます。午後10時半ごろにエイサーが終わっても帰ってこない我が娘を心配した両親はその日のうちに警察に捜索願を出し、夜を徹して探し続けた。
なぜこんな時間に小さい子どもが外に出ているのかと不思議に思うかもしれないが、当時の沖縄では遅い時間に子どもが家にいないことは割と一般的だったとも言われている。近所の結び付きが強く、暑い季節が長い沖縄では、子ども同士が道で涼みながら時間を費やすことが多かったという。
事件を受けて、市内のある小学校の校長は各家庭に「現在の私たちの家は一間または二間といつた小規模なものが多く、子供部屋がないのでいきおい夜になると外に出る傾向が多いということになる。その点各家庭とも十分気をくばり、二度とこのような惨事が起らぬように心がけるべきと思う」(佐木隆三『証言記録 沖縄住民虐殺 日兵逆殺と米軍犯罪』(新人物往来社)、原文ママ)との通達を出したほどだった。



