昭和史研究者の保阪正康氏は、「大勝利をした真珠湾攻撃と、それからの半年間にこそ“失敗の本質”が隠されている」と語る。
いま日本人は真珠湾攻撃から何を学ぶことができるのか。発表から10年が経った現在も示唆に富む保阪氏の記事「真珠湾『失敗の本質』」から一部を紹介します。
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株価は10パーセント上昇した
開戦当日の新聞紙面は、日米の交渉が最終局面を迎えていることを報じていました(東京日日新聞のみ開戦をスクープ)。そのため、対米英開戦の臨時ニュースに多くの国民は快哉を叫びました。作家の伊藤整は、こう記しています。
〈この開始された米英相手の戦争に、予想のような重っ苦しさはちっとも感じられなかった。方向をはっきりと与えられた喜びと、弾むような身の軽さとがあって、不思議であった〉(「十二月八日の記録」)
インテリ層は、下に見ていた中国との戦争に「重っ苦しさ」や「うしろめたさ」を感じていました。それが真珠湾攻撃で一気に払拭されたのです。
一般国民は素直に軍部への称賛と感謝の気持ちを表しました。東京の路面電車では、靖国神社や宮城(皇居)の周辺を通るときには「(感謝を表すため)脱帽して頭を下げてください」と車掌が指示しました。ある会社では朝礼で、万歳三唱が行われましたし、詔書を読み上げたところもあったそうです。街では号外が撒かれ、軍艦マーチが鳴り響きます。
その熱狂を最もよく表しているのは株価でしょう。8日の東京株式取引所(現・東京証券取引所)の相場は、当初は、変動がありませんでした。午後になって大本営から次々と戦果が発表され急上昇していきます。最終的には、前週からの比較で、14円高の124円台になり10パーセントを超える上げ幅となりました。
翌9日の朝日新聞は、これを「国威発揚相場」と表現しました。また、紙面には「買気爆発」「船株一段買気」など、景気の良い言葉が並び、翌日以降も株が値上がりを続けました。私がかつて取材をした当時の証券マンは、「保証金を上げて、全般に市場を冷やさなければいけないほどだった」と当時を振り返っていました。
翌日から紙面では、予備役の大物軍人にインタビューを行い、真珠湾攻撃を伝えました。中でも末次信正海軍大将の記事は、「山本でかした」の見出しで、攻撃の総指揮を執った山本五十六長官を褒めたたえました。
〈ああ、全く涙の出る程嬉しいぞ。骨髄に徹した昔年の遺恨が、グーッと一息に下ったのだから(末次さんは本当にキラリと光るものをおとした)〉(「朝日新聞」昭和16年12月11日)
国民も軍人も浮かれる中、冷静に戦争の推移を見つめていたのは昭和天皇でした。内大臣の木戸幸一は、
〈国運を賭しての戦争に入るに当りても、恐れながら、聖上の御態度は誠に自若として些(いささか)の御動揺を拝せざりしは真に有難き極なりき〉(『木戸幸一日記』昭和16年12月8日条)
と拝謁時の感想を残しています。



