お墓博士・横田睦さんが挙げるのは「お墓が誰のためのものか」という視点だ。
「お墓は、亡くなった本人のために建てるものではありません。遺された人が、その人がいなくなったことに思いを寄せながら、いない前提で、もう一度、社会との関わりを結び直していく。そのためにお墓はあるのです。人はもともと社会的な生き物ですから、誰かに何かがあれば、その人を受け容れ直す手続きがある。それを通過儀礼といいます。卒業式や成人式、結婚式。それらのなかでも一番ダイナミックなのが、葬儀でありお墓なのです」
日本の“通過儀礼”には、際立った特徴があるという。
「海外では、亡くなればはっきりと区切りをつけてしまいます。ところが日本は、初七日、四十九日、一周忌、三回忌と法要を重ね、三十三回忌の弔い上げまで、十五年、三十年とかけて、ようやく区切りにたどりつく。
加えて、その間、お盆には迎え火で故人を迎え、生きている人といっときの時間を共有し、送り火でまた送り出す。そうやって、亡くなった人と長く共に暮らしてきたのです」
これは、柳田國男が『先祖の話』で書き残した死者との共生にも通じる感覚だという。お墓をとりまくようにして人が集まり、身内が関係を結び直してきたのだ。
「仕事や近所付き合いは、いわば横のつながりです。そこに、ご先祖という過去、子や孫という未来への縦のつながりが加わると、暮らしや生きてゆくことに奥行きが出る。横のつながりだけで行き詰まったときにも、生きやすくなるのです」
「お墓がある」ことで、遺された一人ひとりが思いを寄せるための拠り所。それがお墓なのだという。
「墓じまい」に潜む落とし穴
そのうえで横田さんは、墓じまいについては、いま一度、慎重に考えてみては? という立場をとる。
「墓じまいには、思いのほか費用も手間もかかります。それを乗り越えてまで、なぜ急いで畳むのか。法律上『改葬』にあたり、埋蔵証明書などの書類を揃えて手続きを踏まなければなりません。古いお墓や、管理者がはっきりしない共同墓地では、その書類がなかなか揃わないこともある。
しかも、先祖代々のお骨が八つも九つも入っているお墓を、骨壺を二つか四つしか納められない永代供養墓へ移すとなれば、収まりきらないお骨をどうするのか、という問題も出てくる。骨壺一つあたり三十万円から五十万円かかる施設もあり、その場合、新しいお墓を一基建てられるほどになってしまうのです」
墓石を撤去して更地に戻す工事にも、区画や立地によって数十万円がかかる。負担は費用だけではない。寺院との関係でも、思わぬ行き違いが生じることがある。
「長い歳月にわたって音信不通だったのに、突然、『墓じまいをさせてくれ』と言われたら、ご住職からすれば驚天動地でしょう。『いつかはお墓参りに来るだろう』と、『ずっとお墓を守ってきたのは何だったのか』となる。逆に、『行けませんが、よろしくお願いします』と一言、お寺に連絡を入れて、そのつどいくらかの『お気持ち』だけでも包んでおけば、いざ畳むときにも、スムーズに進められるだろう、ということは想像出来ますよね」
