今年は、広島と長崎に原爆が投下されて81年。ウクライナ、イラン、ガザ……戦争が絶え間なく続く今の世界において、大宅賞受賞の名著『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』を思い起こしたい。著者であるノンフィクション作家・堀川惠子さんにお話を伺った。
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どんなインタビュー相手に話したくなるか?
堀川 2024年11月に『透析を止めた日』という透析の本を出しました。私自身これまでは、書き手が前に出ることをよしとしてこなかったのですが、今回は医療制度を変えるため、多くの取材を受けました。で、自分が取材をされる立場になって分かったことがあります。やっぱり、取材者がどのくらい本気で来ているのかっていうのは話していてすぐ分かるんですね。
――どういうところで分かりますか? 言葉遣いや話す内容ですか?
堀川 たたずまいですね(笑)。話しているやりとりの中でなんとなく分かりますよね。あーそうか、取材者ってこういうふうに見られているんだなって。
――真剣にとらえているかどうかってことでしょうか。
堀川 そうですね。ものすごく粘って、少しでも話を聞きだそうとする人もいるし、知識は豊富だけれども、「あーこの取材は早めに切り上げてさっさと次いこう」と思っているんだろうな、と感じさせる人もいます。
――取材者の肩書は関係ありますか?
堀川 ぜんぜん! 一切関係ありません。あまり真剣でないな、と思う相手には、それを受けた形でこちらも対応すればいい。2つくらいエピソードしゃべっておけばいいだろう、とか(笑)。
――相手を見て、話す内容が変わってくるということですね。
堀川 そうなんですよ。取材者は常に試されているんですね。だから、やっぱり真剣に、自分がどういう思いでこの質問をするのかを、ちゃんと真面目に取材相手に伝えるしかないんです。
語ってくれるタイミング
――この『原爆供養塔』では、途中まで口を閉ざしていたのに何かがきっかけとなり真実を語り始めた、という展開もありましたか?
堀川 あります。そういう取材ばかりですね。だから、ジッとその瞬間を待つわけです。
――人によって、その瞬間は違いますか?
堀川 違いますね。永遠にその瞬間が来ない人もいる。たとえば『原爆供養塔』の取材の時、兵庫でお会いした三島さんという司法書士の方もようやく会ってくださったのに、全然最初しゃべってくださらなくてね。このまま今日帰るしかないなと思っていた最後の別れ際になって、お話が始まったんです(『原爆供養塔』の「第八章 6 語られなかった戦後」、ぜひお読みください)。
本が出た後に、三島さんの息子さんから手紙が届いた。父から生前こんなこと全然聞いたことがなくて、あなたの本で初めて分かりましたって。三島さんご自身も被爆者で、昭和60年代になってようやく、原爆で亡くなったお弟さんのお骨を広島市に迎えに行くことができたという経験を語って下さったのです。言葉になって出てくるまで、時間がかかりました。
いつ話をしてくださるタイミングが来るか、これは全く予想ができない。こればっかりは、こうすればいいとか……(強く)マニュアルは無いですね。だから、「待つ」。たぶん、相手の話を聞くというのは、その人の心の準備ができるのをひたすら待つっていう作業だと思うんですよね。
――私だったら、ものほしそうに聞いちゃいそうです……。
堀川 いや、私も完全にものほしそうな顔で聞いてると思うんだけど。だってそもそも、取材でお話を聞く目的で伺っているから、それは仕方がない(笑)。でも心を尽くして真剣に向き合っていれば、心が開く瞬間っていうのが、いつか来るんです。





