今年は、広島と長崎に原爆が投下されて81年。ウクライナ、イラン、ガザ……戦争が絶え間なく続く今の世界において、大宅賞受賞の名著『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』を思い起こしたい。著者であるノンフィクション作家・堀川惠子さんにお話を伺った。
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大事な取材は必ずリアルで
――取材は、いつも対面で行いますか?
堀川 コロナの時期にリモートが発達しましたね。それでよく分かったのは、本当に聞きたい話っていうのは、やっぱり会わないとダメだということ。人間が話を聞くときって、使っている機能は聴力だけじゃない。それこそ耳は、全体の2~3割じゃないかと思います。目を見てリアルな距離感を肌で感じて、その場の空気感を共有することで感じることは沢山あります。
――執筆のテーマに関係なく、共通する話なんですね?
堀川 そうです、どんな取材にも共通して言えます。取材に出ると、たとえ苦しいことがあったとしても、苦しいと楽しいは背中合わせでセットだから、いいとこ取りはできない。「いっそのこと苦しいか楽しいか、もうどっちかにして!」って思うこともあります(笑)。
本が刊行されてからの供養塔をめぐる動き
――『原爆供養塔』の本が出てから、何か社会に変化があったと感じることはあったでしょうか。
堀川 はい。原爆供養塔に関していうと2015年に単行本が刊行されて、それがきっかけの一つとなって、今までかえりみられなかった原爆供養塔と、それに関連する出来事が、あちこちでドキュメンタリー番組になったり、ニュースの出る回数が増えたようには思います。そして、この本を読んでくださった方が市役所に問い合わせて、ご遺族が判明したケースもありました。
広島市は毎年7月に「原爆供養塔納骨名簿」を公表しています。
「私が取材を始めた二〇一三年春の時点で、そこには八一六人分の名前や住所が記されていた。多くは名前だけだが、本籍や年齢、勤務先、遺体に添えられた遺留品、遺体が焼かれたと見られる場所など、具体的な情報が記された遺骨も一〇一人ほどある」
(『原爆供養塔』本文より)
ということは、骨壺を開けてみないと、どんな遺品が入っているか、分からない。広島市役所にも、そのことは伝えましたが、取材当時は対応してもらえなかった。
去年の12月に遺髪のDNA鑑定でお一人の身元が判明したでしょう。そして今年の2月に、「市原爆被害対策部調査課の職員5人が納骨室に入り、安置されている骨つぼの調査を始めた。市によると、骨つぼの調査は約40年ぶりだという」(讀賣新聞オンライン2026年2月5日配信)と報道されました。今年3月には身元が判明していない813人の遺骨のうち52人に遺髪があることが確認されています。
私の取材に対して、「原爆供養塔については、そっとしておいてください」とずっと言い続けた広島市役所が、自ら供養塔の中に入って、骨壺を開けて調べてそれを発表して、市民に呼び掛けてくれた。ここまできたのは、やっぱり佐伯敏子さんの力だと思います。佐伯さんはがんばってがんばって、長い間一人でずっと遺骨の身元を探しておられた。
広島市が出版から10年以上経って、これだけのことをやってくれたというのは大変喜ばしいことです。紙の本の力って本当に捨てたもんじゃない。供養塔で眠る人々にもひとりひとりの人生があった、ということを忘れてはならないのです。「原爆供養塔」に象徴される“ヒロシマ”は、何度でも繰り返し問い続けねばならないテーマだと思います。






