ヒトの遺伝子数は2万2000、宇宙の年齢は138億。はたまた“3秒ルール”は本当か? 世界を数字と科学で読み解こう――。サイエンスライター・佐藤健太郎さんの新刊『人に話したくなる数字と科学の話』(文春新書、8月20日発売)には、ちょっとした話題にぴったりの79のトリビアが収録されている。
今回はその中から、「99」についての一話をお届けしよう。
◆◆◆
世界最長の実験開始以来の年数【99年】
現代科学の進展速度は、時に空恐ろしくなるほどだ。何しろこの世界は、1秒でも早く結果を出し、発表した者が全ての権利を得る。誰もが血眼で一刻も早く成果を出そうとしているのだから、進歩が早まるのも道理だ。
しかしそうした慌ただしい競争の埒外で、静かに息長く続いている実験もある。オーストラリアのクイーンズランド大学で100年近くにわたって行われている、ピッチドロップ実験がそれだ。科学界のサグラダファミリアともいうべきこの実験だが、やっていることは単純だ。ピッチ(石油から得られる黒い樹脂状物質)をろうとに載せ、下の穴から落ちてくる様子を観察するというものだ。ピッチは一見固体に見え、ハンマーで叩くと割れさえする。しかし実は極めて粘性の高い液体であることを示すため、この恐ろしく気の長い実験は開始された。
熱したピッチがろうとに載せられて実験が開始されたのは、昭和天皇即位直後の1927年のことだ。ピッチの状態が落ち着いた1930年に、ろうとの下が切られて滴下開始となり、ナチスドイツがオーストリアを併合した1938年にようやく1滴目が落下した。2滴目が落ちたのは終戦後の1947年、3滴目はビキニ水爆実験の1954年、4滴目はキューバ危機の1962年と、まさに現代史と共に実験は進行していった。
こうしてほぼ8年おきにピッチは落下したが、実は落ちる瞬間を見た者は長らくいなかった。2000年には世界に向けてウェブ中継を行っていたが、あろうことかカメラが不調の時にピッチが落下し、決定的瞬間の撮影は失敗した。2014年には、9滴目の落下に備えてピッチを受けるビーカーを取り替えようとした時に、誤って垂れ下がったピッチを折ってしまったという。世界から注目される実験なのだから、もう少し慎重に扱ってはという気はせぬでもない。
実験の結果から、ピッチの粘度は水の約2300億倍であると見積もられた。世界最長の実験としてギネスブックにも認定され、2005年にはノーベル賞のパロディであるイグノーベル賞を受賞している。長きにわたる管理の苦労は報われたというべきだろう。
雑用と研究費獲得に追われ、研究者の地位も不安定な現代日本では、こうした超長期実験はなかなかできそうにない。一見のんきなだけのこの研究を、羨む人は多いのではないだろうか。
