半年後に届いた「犯人からの手紙」

 以降、何の音沙汰もないため1週間後に家族が新聞に「尋ね人」の広告を出したものの有力な情報は寄せられなかった。それから半年が経過した同年9月7日に専務宅の郵便受けに〈現金1万5千円(現在の貨幣価値で約600万円)を持って京都の東本願寺境内に娘を引き取りに来い。母親に限る〉との脅迫状が投函される。

 母親が指示に従ったところ、娘が現れるとともに、犯人が現金の包みを奪い逃走したという。

 後の次女の証言によれば、犯人の男は「あなたは国際誘拐団に狙われている。僕があなたのご両親と相談して匿うことにした。僕の妹として日本国中を旅して身を隠さなければならない」と言い、その後、全国を点々とし、最後に京都で解放されたそうだ。

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 警察は、清水家次女の誘拐犯が、年齢こそ違えど邦子さんを連れ去った男と風貌や誘拐の手口が酷似していたことから同一犯と断定。

 さらに周辺の聞き込みを進め、事件2日後の9月19日夕方、誘拐現場に近い旅館の宿帳に〈京都府久世郡御牧村字高島田(現・同郡久御山町)、引揚者、本田金次郎、二十二歳、九月十六日午後五時止宿、翌十七日午前九時出発、丈五尺二寸位、痩型、カーキ色軍服上下、戦闘帽、軍靴〉の記述を見つける。

 清水家次女の誘拐犯の人物像とぴったりだ。時を同じくして、手口捜査から1943年8月1日に少女への強制猥褻で逮捕され懲役刑に処された東京・月島在住の樋口芳男が捜査線に浮上。逮捕時に撮影された顔写真を清水家次女と彼女の母親に見せた結果、この男に間違いないとの証言を得る。

写真はイメージ ©getty

 こうして、警察は樋口(同22歳)を犯人と断定、本人の写真と次女が金沢の兼六園で樋口と撮った記念写真を公開し、新聞に掲載する。効果はすぐに表れた。

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 逮捕後の樋口芳男が口にしたのは「私は11、12歳の少女にしか情熱を燃やすことができなかった」という衝撃の供述。捜査が進むにつれ、「少女への異常な執着」と、「恐るべき計画」が浮かび上がる……。

次の記事に続く 「毎月1人ずつ誘拐」「手帳にはヤバすぎる5文字」“12歳少女との結婚”を本気で夢見た「22歳男の末路」(昭和21年の事件)