砂川文次著『越境』

 北海道に侵攻するロシア軍と自衛隊の壮絶な戦闘を描き、大きな話題を呼んだ軍事小説『小隊』。元自衛官の芥川賞作家、砂川文次氏による文庫新刊『越境』では、その後の北海道の姿が描かれる。

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 本作の舞台は近未来の北海道である。およそ一〇年前、コロナ禍の直前に起きたロシアの侵攻により、北海道の施政権は日本にあるとされながら、道東・道北の広い地域では日本政府の統治が十分に機能しなくなっている。

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 陸路は寸断され、救援物資の輸送さえ危険をともなう。武装勢力、ロシア難民、元兵士、アウトロー、生活の場を失ったひとびとが入り乱れる、極限の無法地帯。そこは日本でありながら、日本の外部でもある。

 釧路では市場が成立しているが、その秩序は暴力に支えられており、こどもが搾取や薬物と隣り合わせの状態におかれている。標茶では、有力者が食糧や安全を提供しながら、同時に民兵の武力によってひとびとを支配している。旭川にはまだ日本側の統治機構が残っているものの、ロシア系住民などが混在して複雑な境界都市の実態が広がっている。

もはや元には戻れないという絶望

 戦争とはたんなる軍事衝突にとどまらない。秩序の崩壊であり、価値観の崩壊でもある。国家が機能しないなかで、暴力はしばしば秩序の代替物のように働く。

 その最大の象徴として、物語の後半には核兵器が登場する。本作における核は、ただの兵器ではない。見捨てられたものが、自分の苦痛や存在を内地の日本人に思い知らせるための究極の暴力であり、承認への渇望や報復の感情までもないまぜになった特別な存在ともなっている。

 このような混沌とした世界に投げ込まれるのが、主人公の入木2尉(イリキ)だ。自衛隊のヘリコプター操縦士であるかれは、旧釧路空港への物資輸送を援護する任務中に攻撃を受け、山中のダムの湖面へと墜落する。そこで直面するのは、任務の達成でも組織への忠誠でもなく、ただ生き延びたいという欲求だった。

 とはいえ、生きるとは何なのか。従来の価値観を捨て、感情や欲望のままに突き進むことなのか。詳しくはぜひ本作を読んで確かめてほしいが、イリキは、元自衛官で狩猟生活を送る山縣や、ロシア難民のアンナらとの出会いを通じてこの問いに向き合っていくことになる。

 自衛隊の一員としての身分から切り離され、生身で生き抜く生活は、イリキに奇妙な充実感を与える。火をおこし、食べ、眠り、銃や罠で自然に向き合う生活は、組織に守られた日常とはまったく違う手触りをもっている。そのいっぽうで、国家や制度の脆弱さを知ってしまった以上、もはや元には戻れないという絶望もまたかれにもたらす。

戦争によって人間はどのように変化しうるのか

 そして無法地帯の内部を移動し、さまざまな経験を経るなかで、イリキは国家や民族といった大きな物語に頼らず、怒りや復讐の感情にも身を委ねない、個としての倫理へとたどりつく。それは完全無欠な正義ではない。イリキもまた暴力に巻き込まれ、怒りを抱え、何度も崩れかける。だが最後にかれが選ぶのは、目の前の他者を連れて生き延びようとすることだった。

 これと対照的に描かれるのが山縣である。かれはイリキにサバイバル術を教えた人物だったが、やがて兵士を使い捨てる国家や、安全な場所から現場を切り捨てる社会への怒りに呑み込まれ、破滅的な結末を導くことになる。

 もはや明らかだが、題名の「越境」とは、たんに地理的な境界を越えることではない。制度に守られた日常から、生身で生きる世界へと進むこと。敵と味方、日本人とロシア人、兵士と民間人という単純な線引きを脱し、具体的な他者ひとりひとりと向き合う立場へと身をおくこと。そして、怒りや復讐に呑み込まれるのではなく、個人として踏みとどまる決意へと踏み出すことでもある。

 本作は冒険譚であると同時に、主人公の内面を細やかに描く文学でもある。その意味で、すぐれて戦争小説であると言えるだろう。戦闘シーンは濃密に記されるが、それをけっして勇ましさや華々しさで美化してはいない。むしろ、戦争によって人間がどのように変化しうるのかを、イリキと山縣の対比などを通じて鮮やかに描き切っている。