新卒でカローラを買い、中間管理職になったらマークII、そして部長にでもなればクラウンに――。
80年代、経済成長のさなかに流行した「いつかはクラウン」というキャッチコピーは、当時の年功序列制のなか、この車が社会人として「アガリ」の車であることを示していた。
1955年の登場以来、長らくトヨタの看板を担い、日本を代表する高級車であり続けてきたクラウン。しかしバブル崩壊後には固定ファンも高齢化し、いつしか「おじいちゃんの車」というイメージがすっかり定着していった。
この状況を打破すべく2003年に投入されたのが、「ゼロクラウン」のキャッチフレーズを掲げた12代目のモデル。今回は、この「若返り」を狙ったクラウンが当時どのように受容され、その後なぜ「改造車のベース」として流通していったのか、経緯を概観してみたい。
賛否両論だったゼロクラウン
2003年に12代目のクラウンが発表されたとき、車業界はその大胆な方針転換に大きく湧いた。日本でもっとも伝統のある車種が、外観からしてまるで別の車に生まれ変わったからだ。
それまでクラウンの代名詞だった直線基調の保守的なデザインは一転、なめらかな曲線を多用したボディとアグレッシブなフロントマスクへと変貌を遂げる。
乗り味も様変わりし、伝統だった「フワフワ系」の乗り心地は影を潜め、欧州車のような引き締まった足まわりを手に入れた。
当時のカタログを見ても、先代モデルが「ゆとり」「静かさ」「伝統」といった要素をアピールしていたのに対し、12代目では「ドライビング・プレジャー」や「世界トップレベルの運動性能」など、走りのよさを謳う文句が随所に見られる。
もちろんこの突然の変化に、戸惑いを見せる既存オーナーも多かった。当時個人タクシーの運転手をしていたという71歳の男性は、「ふわっとした乗り味こそクラウンでしょ。おもてなし感がなくなったよね。ゼロクラウン以降は、クラウンと呼べないと思っている」と振り返る。

