太平洋戦争末期の1944年、日本軍はイギリス領インド軍(英印軍)を相手に史上最悪とも言われる惨敗を喫した。2万人以上が激しい戦闘に加え、食糧難や感染症に苦しみながら命を落とした「インパールの戦い」である。
この戦いと同じ過ちは、「終わりなき戦争」の様相を呈する現代のイラン戦争でも繰り返されている。
このたび『完全版 インパールの戦い』(文春新書)を上梓した日印関係史のエキスパートである笠井亮平氏と、2018年から20年まで駐イラン特命全権大使を務め『なぜ米国はイランに負けたのか』(同)を上梓した元外交官の齊藤貢氏が、時代も規模も地域も異なる二つの戦いの“失敗”の共通点について語り合った。
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日本軍が狙っていた「オセロのような一発逆転」
笠井 齊藤さんの『なぜ米国はイランに負けたのか』を読んで真っ先に驚いたのは、イランの戦い方がチェスに例えられていたことです。私の著書でも、英印軍をチェスになぞらえているんです。
齊藤 私も、思わぬ一致に笑ってしまいました。トランプ大統領が直感とブラフを駆使してディール(交渉)で優位に立とうとするポーカーのロジックで臨んだ一方、イランは一手一手に時間をかけ、理詰めで持久戦に引き込んだ。これはまさにチェスの戦い方です。そして最終的な決着がどうなるかは別として、現状においてはイランが米国を追い詰めています。笠井さんは日本軍をポーカーではなく、オセロに例えています。さすがにそこまではシンクロしませんでしたね。
笠井 残念ながら(笑)。日本軍がインド北東部の都市インパールの攻略を目指し、英印軍と激突した「インパールの戦い」が起きた1944年3月は、日本軍の守勢が続き、大本営が焦りを感じていた時期です。英印軍がビルマ(現ミャンマー)奪還を目標としてチェスでいう“チェックメイト”から逆算して準備を重ねていたのに対し、第十五軍司令官の牟田口廉也は、オセロの終盤の局面で、一つのポイントを抑えることで黒が一気に白に裏返るような“一発逆転”を目論んでいた節があります。
齊藤 ただ、共通点は「チェスを相手取った」だけにはとどまりません。笠井さんの『完全版 インパールの戦い』を読んで、改めて二つの戦いにおける日米両国の“失敗”を比較してみました。すると、驚くべきことに、重なり合う部分をかなり見出すことができます。
笠井 同感です。
齊藤 共通点は、概ね三つに分類できると考えられます。まず一つ目が「兵站の失敗」、二つ目が「戦略の失敗」、そして三つ目が「インテリジェンスの失敗」です。ここからは、この3点を順に検証していきましょう。

