広島に原子爆弾が投下されて81年のこの夏、神戸市在住の弁護士・野口善國氏(80歳)が瓦礫などと一体化した親族の「異形の遺骨」を公開した。父が秘かに残した資料を手がかりに、広島で全滅した祖父母一家の足跡を辿り続けてきた野口氏。あの日、広島で何が起きたのか――。父・正隆の、原爆投下直後の足跡を振り返る。
『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』(文藝春秋)などの著作があるジャーナリストの堀川惠子氏が、爆心で全滅した一家の3世代にわたる記憶をひも解いた(「『異形の原爆遺骨』八・六が奪ったもの」)。その一部を紹介する。
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終戦直後の広島の姿
終戦の詔勅が発せられた翌日、1945年8月16日午後5時、列車は東京駅を出発した。大荷物の兵隊で賑わう4人掛けの隅に身を縮めて座るのは、野口正隆(29歳)。向かう先は、広島だ。長い戦争が終わり、日本に平和な空は戻った。しかし、広島への「新型爆弾」投下が短く報じられて以降、家族からの音信は途絶えていた。
正隆は、6人家族の野口家の長男だ。東京帝国大学卒業後、住友銀行に勤めている。もうひとり、広島から上京して都内にいた弟は三男の正輝、明治大学に通っている。兄弟二人を除いて、広島の実家に暮らすのは両親と次男、長女の4人。
正隆が、弟の正輝に宛てて送った3通の葉書が残っている。1通目は、東京を出たばかりの車内で書かれた。葉書には、広島の実家が郊外4カ所に疎開させた品々がこと細かに記されており、家族がそのどこかに避難しているだろうという期待を滲ませる。
翌17日午前11時、大阪駅に到着。正隆はここで下車し、北浜の住友銀行本店に立ち寄った。広島に関する情報を収集し、弟に宛てて書いた。「廣島は紙屋町當りが中心、住友銀行廣島支店は金庫を除き全焼、他の金融機関も全滅」。そして野口家のある宝町について「完全に焼失の由……これは直ぐに発火した様子です」。
翌18日、列車は広島駅に滑り込んだ。駅の屋根は崩れ落ちて青天井。裸のプラットホームに降り立つと、目の前にあった町は消えていた。一面灰色の世界の向こうに、遠く瀬戸内海まで見渡せた。遅かりし終戦――。広島はすべて8月6日で終わっていた。
後に原爆と分かる「新型爆弾」により、広島の町は爆心から2キロ以内がほぼ壊滅した。主要道路の電車通りは、暁部隊(陸軍船舶司令部)が瓦礫や遺体の撤去を終え、行方不明者を探す者たちが力なく往来している。真夏の日差しを遮る建物も、樹木も、音を出すものも、動くものも何もない荒野だ。



