「お笑い界の長瀬智也」と呼ばれるほどのルックスで主に女性ファンからの高い人気を得ていた裏で、先輩芸人たちから陰湿なイジメを受けていた――。今や「冷やし中華」の人として親しまれるAMEMIYA(47)だが、その輝かしいキャリアの裏には、想像を絶するどん底時代があった。

©志水隆/文藝春秋

人気の半面、ずっと違和感を持ち続けていた若手時代

 千葉県出身のAMEMIYAは、高校の同級生とともに吉本興業の養成所・NSCへと進んだ。NSCでは相方のネタが好評で、優秀な生徒たちが集められるクラスに所属していた。その後、1997年にコンビ「ノンストップバス」として芸人活動を開始し、吉本からナベプロに移籍後、女性ファンを中心に絶大な支持を集める。

 しかし本人は「違和感がありました」と振り返る。何となくお笑いが好きでこの世界に入ったものの、ツッコミの意味すら理解できていなかった。にもかかわらず「ギャーーーーー!!!」という熱烈な歓声を浴びる状況に戸惑い続けていたのだ。

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「ノンストップバス」時代は、期待の若手として注目されていた(写真提供=本人)

女性ファンの前で、肛門を丸出しにさせられ……

 その後、ギターを弾くコントを披露したことをきっかけに、テレビ番組で「エロい替え歌」を歌う仕事が舞い込む。この仕事が「初めて男にウケるネタだった」と振り返る。

「先輩たちも少し認めてくれるようになったかなと思っていたんですけど、ある日先輩主催のお花見に呼ばれてひどい目に遭ったんです」

 その花見では、コント中の「ズボンを脱がされる」という持ちネタを利用され、女性ファンたちが見ている公園の中で、肛門を丸出しにさせられた。さらに、その肛門に焼酎を吹きかけられるという屈辱を味わった。

「その時、あらためて思いましたね。『俺、女の子にモテたくてこの世界に入ったんだ』って。男にウケたいと思って、実際にウケたからお花見に呼んでもらえたんだとうれしかったけど、結局何なんだよこれって」

 この屈辱をきっかけに「自分のやりたいことをやってやる、それでこいつらより先に売れてやる」と、AMEMIYAはコンビを解散。バンド活動に転じるも、ファーストライブ以降は客がほぼゼロの状態が続いた。

「俺は何者でもねえんだ」直面した絶望から、どのように立ち上がったのか?

 歌手として出演したNHKの番組でも、芸人時代のクセで笑いを取りにいってしまい、ディレクターに「調子乗ってんの?」と首根っこをつかまれ、彼女にも振られた。6年間のお笑いと6年間の音楽活動、両方が行き詰まった2009年、31歳のAMEMIYAは「俺は何者でもねえんだ」と現実を突きつけられていた。

 アンガールズやWエンジンといった後輩たちが次々と売れていく姿を悔しい思いで見ていたAMEMIYAは、いかにして這い上がっていったのか。続くインタビュー全文では、冷やし中華のネタが生まれるまでや、ブレイク当時の収入事情、そして現在の「意外な姿」などをまとめている。

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