1972年、一人旅を楽しんでいた24歳女性が群馬県の山中で凄惨な刺殺遺体となって発見された。24ヶ所にも及ぶ傷、えぐられた心臓——。徒歩での下山、不可解な移動時間、そして最後の目撃情報。突如として襲いかかった悲劇の裏で、一体何が起きていたのか。昭和の日本を震撼させた凶悪事件を、鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目)
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被害者は一人旅をしていた24歳女性
1972年(昭和47年)8月12日、群馬県伊勢崎市に住むガソリンスタンド勤務の井上恵子さん(当時24歳)が夏休みを利用し、同県碓氷郡松井田町(現・安中市)の山中にある霧積温泉の一軒宿「金湯館」に向かった。本来なら母親(同55歳)と弟(同23歳)と一緒に出かける予定で、同月2日に霧積温泉の出張所に電話をかけ3人分の予約を取っていたが(当時、金湯館には電話が引かれていなかった)、旅行前日に母、弟ともに急用が入り、想定外の一人旅となった。
彼女は同日午前10時ごろ、父親(同55歳)に国鉄(現JR)両毛線の伊勢崎駅まで車で送ってもらい、10時19分発の列車に乗り高崎駅で信越本線に乗り換えた後、昼12時前に横川駅で下車。そこから金湯館までは約13キロあり、観光客送迎用のマイクロバスを利用するはずだったが、バスがなかなか来ないため、たまたま通りかかった国鉄職員の車に同乗させてもらい、12時40分ごろ同駅から約3キロ離れた霧積温泉の出張所に着く。
井上さんが金湯館に泊まるのはこれで3度目。しかし、受付の際、彼女はなぜか初めて泊まる宿と口にした。そして、金湯館までの約10キロを徒歩で向かおうとしたところ、出張所の女性職員が(そのとき井上さんが履いていた)ハイヒールではとても無理だと助言。これを受け井上さんは近くの雑貨屋で運動靴を購入したものの、結局マイクロバスを待つことに。後の職員の証言によれば、時間を潰している間、井上さんは「伊勢崎から来ました。おばさんは高校時代の担任教師に似ています」など他愛のない話をしていたそうだ。
