式場に関係者以外の日本人はたぶん私ひとりだったと思う。胸がドキドキしていた。川端先生はさぞ緊張なさっているだろうと、余計な慮りのドキドキだった。アナウンスがあって壇上に現れた川端康成先生は紋付羽織袴だった。一幅の浮世絵さながらに美しかった。日本男児ここにあり、と高鳴る胸を鎮めた私が驚いたのは先生のあまりにも何気ない様子だった。

自宅の縁側に腰を掛ける川端康成 ©文藝春秋

細い指でアスパラを掴み、パクリと食べた

 にこやかに賞を受け取る姿に、私はパリのシァンピ家での昼食を思い出していた。それは日本を出奔した私が、パリという未知の街に着いた翌日だった。偶然に大使館でお会いして、私の結婚式の仲人を引き受けて頂きそのままシァンピ家に来て下さった。『岸惠子自伝』に既述したので重複になるが、昼時だった。前菜は、シァンピ家のボーイ長が銀のプレートから、優雅に配った見事なホワイトアスパラガス。私にとってもパリでの初めての昼食だった。

 ナイフを使ってはいけないものが3つあるとは知っていた。サラダ菜、スパゲッティ、アスパラガス。じゃ、どうやって食べるの? 川端先生はこともなげに細い指でアスパラを掴み、ベシャメルソースに浸けてパクリと食べた。素敵だった。それを楽しそうに見ていたイヴ・シァンピと川端先生は長い親交を続けた。

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 世界の作家が夢見るノーベル文学賞を、丁重に受け取り、ゆったりと袴の裾を捌いて歩く川端先生は、さながら下駄履きで近所に煙草を買いに行くように、自然でさりげなかった。その姿が、いとも気楽に手づかみでアスパラをパクリとした先生とかさなった。私はいたく感動してしまった。

※この続きでは、映画『雪国』でヒロイン・駒子を演じたときの記憶を岸惠子さんが振り返っています。全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』に掲載されています(岸惠子「川端康成 ノーベル賞授賞式での雄姿」)。

文藝春秋

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川端康成 ノーベル賞授賞式での雄姿
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