『天皇五代と戦争 平成の天皇皇后は皇居で何を語ったか』(保阪正康 著)

 昭和史を中心に日本近現代史を研究してきた保阪正康さんの新刊『天皇五代と戦争』は、保阪さんが天皇を主題にしたこれまでの著書とは一線を画している。

 過去の書は史料や側近が残した記録、皇族、宮内庁関係者への取材を基に書かれてきた。本書で注目すべきは、平成の天皇、皇后と20時間余の歓談を重ねた保阪さんが、その言葉から天皇を考えたことにある。

「2013年から3年の間で6回、半藤一利さんと御所で歓談の機会をいただきました。そのことは『平成の天皇皇后両陛下大いに語る』という本に書いたのですが、収めきれなかった要素はまだありました。それともうひとつ。両陛下にお会いしながら、私たちは天皇と天皇制について錯覚していると感じました。そのことを、右、左という思想ではない普通の人の視点で考えたいと思ったのです」

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 たとえば、明治という時代は明治天皇が担ったことは誰もが知っている。そして明治天皇とは「睦仁」であることも。保阪さんは、天皇と個人の間の、単一ではない関係に目を向けた。

「歓談の中で、半藤さんと僕が共に感じたことがあります。平成の天皇には、喉まで出かかっていても決して人に尋ねられない問いがあるのではないか、と。それは先の大戦で亡くなった310万人もの人の中に、天皇のために、と死んだ人が多数いて、《その責任をどのようにとればいいのか》という問いです。私たちの感覚からすれば平成の天皇に責任はないと考えるわけですが、そういうものではないんです。『天皇のために』という言葉に、平成も大正も明治にもかかる重い責任を受け止めている。天皇とはそういう存在なんです」

 言行の一致を求められる天皇は、個としての思いを容易に口にできない。だが、内面では個と天皇の間で対立があるだろう。それがもっとも激しくなるのが戦争だと保阪さんは考えた。

「清国と戦争を始める時、明治天皇は消極的でしたが首相の伊藤博文に説得され、開戦詔書に署名しました。しかし側近に『これは朕の戦争に非ず』と不本意であったことを伝えています。日露戦争でも開戦が決まると落涙したと『明治天皇紀』に記されています」

保阪正康さん

 革命や敗戦。皇統が途絶えるきっかけは様々にある。明治天皇は個の面でその現実味を感じ、恐れた。しかし、君主の名において戦争をしなければならない。だから葛藤した。

 その、個と天皇の分離を克服せんと「教育」されたのが昭和天皇だ。皇太子時代の13歳から7年間、東宮御学問所で身につけたのは立憲君主制、そして軍国時代の枠組みに合わせた帝王学である。保阪さんは、近代日本の天皇像がここで完成したと見る。天皇は個との一体化を遂げた。それはある意味で天皇が「人工的に作られた」とも言える。

「ところが昭和20年8月を境に、天皇は民主制の象徴として、『裕仁』個人として生きることを求められます。それは一体化を崩すことであり、苦悩があったでしょう。一方、平成の天皇も一体化を遂げたと言えます。非戦を謳う新憲法と個の一体化です。平成は戦争のない時代だった、と会見で声を震わせ御代を振り返った平成の天皇は、胸にとどめた問いの答え――『戦争をしないこと』という答えに辿り着き、全うされたのだと僕は思いました」

 保阪さんは“お濠の内側”で天皇を見つめることを試みた。それは、歴史や伝統のシンボルとしてのみの存在ではない、私たちと共に生きる、人の言葉に耳を傾ける作業でもあった。

ほさかまさやす/1939年、北海道生まれ。ノンフィクション作家。72年、『死なう団事件』を発表し作家に。歴史の証人約5000人に取材するなど、日本近現代史の検証を続けてきた。一連の昭和史研究で第52回菊池寛賞を受賞。著書多数。