「全部分かってくれていたんだと思います」おばあちゃんの梅干しおにぎりに救われたワケ
――そこから抜け出すきっかけはあったんですか。
西山 成人式です。帰りたい、でも怖い、それでも参加してみようと思って、当日、振袖で新幹線に乗って帰ったんです。そうしたら、変わらずに声をかけてくれるお友達がいて、ほっとして。
でも今度は今まで声をかけてこなかった人からも声をかけられて。昔からの友達は、こうして声をかけられる私をどう思ってしまうんだろうとまた怖くなって、私、おばあちゃんの家に1回逃げたんです。
そしたらおばあちゃん、すごく酸っぱい梅干しのおにぎりを作ってくれて。たぶん全部分かってくれていたんだと思います。そのときに、ふと「これが現実なんだな」って。変わらない仲間は変わらないでいてくれるんだな、というのをその梅干しが教えてくれたような気がしました。
――おばあちゃんの梅干しおにぎり、すごい。
西山 今になって当時のモデル仲間と話すと、ほんとみんな同じ気持ちだったみたい。何が正解か分からなかった、決していい体型のキープの仕方でも落とし方でもなかったよね、と今なら笑い合えるんですけど、当時はお互いをすごく細いと感じていたんですよね。
その後のどんなモデル仕事よりも、『CanCam』の時代がいちばんハードで、運動会みたいな感じでした。当時のモデル仲間は、それを乗り越えた同志、戦友みたいな感覚。寝ても覚めても一緒にいました。「また明日ね」じゃなくて「またあとでね」くらいの距離感で毎日撮影してたから。
「なんて個性豊かで自由な、みんなが正解みたいな場所なんだろう」『CanCam』卒業後にタレントに転身した理由
――家族以上に一緒に過ごしていた。
西山 ほんとそうでした。みんな仮眠のプロというくらい、ロケバスに乗ったら自分の撮影の順番だけ把握して、いかにすぐ寝落ちして、自分の番が来たらぱっと目覚めて撮るか、みたいな。
『CanCam』の専属モデルとして18歳から約6年間、無我夢中でやってきて、自分で卒業のタイミングを決めさせてもらいました。バレーボールのときと同じで、納得のいく状態で卒業できたんです。
――卒業後は何がしたいかは決まっていたんですか。
西山 全然分かりませんでした。『CanCam』モデル西山茉希という、『CanCam』という肩書きが外れたときに、何者として通用する商品になるんだろう、と。求められなければ仕事にならない職業ですから。約6年やっても、それは自分の財産ではあっても肩書きにはならない。そのたすきは外さなきゃいけないもの、幻のような感覚でした。
『CanCam』の中で自分自身を見つけにくかった時期に、テレビのお仕事をさせてもらった時、なんて個性豊かで自由な、みんなが正解みたいな場所なんだろう、と思ったんですよ。みんながキャラクターみたいで、そのままでオッケー。太っていようと、痩せていようと、小さかろうと大きかろうと。
テレビのお仕事ですごく心がほどかれたんです。私らしくいても、凛としていたら認められるんだなって。頑張りすぎること、痩せすぎなきゃいけないこと、きれいでいなきゃいけないという決めつけを、少しずつ手放せました。だからこの世界からもういなくなりたい、とは思わずにいられたというか。
撮影=深野未季/文藝春秋
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