セツルメントの子どもたちとの出会い
父が本格的にセツルメント活動をするようになったのは、会社員になってしばらくした昭和26(1951)年、25歳の頃。子どもたちやそのご家庭の生活基盤を医療や法律相談など、さまざまな角度から助ける学生のボランティア活動です。
そこで、絵本創作の原点となる子どもたちとの出会いがあったのです。セツルメント活動は、父の生きがいとなり、生きる力となっていきました。父は、セツルメントを行っていた川崎の小さなおうちを借りていただけではなく、母校の東大の五月祭に子どもたちを連れていき、そこで紙芝居を演じたりもしていました。
今回の展示では、多数の作品を初公開、初展示しています。父がセツルメントの子どもたちのために、あるいは子どもたちと一緒に作った紙芝居作品を見ていただくことが、この「生きるということは、本当は、喜びです」というテーマを皆さんにお伝えするうえで一番ではないかと思いました。
絵の一枚一枚、絵本一冊一冊に込められた父と子どもたちの思いと、そこから伝わるメッセージを受け取っていただけましたら嬉しいです。
振り返れば、父は高級な画材を使うことは一切なかったです。私たち姉妹が使い古した絵の具の残りを使って絵を描いていましたし、パレットもなにかのお皿で代用したり、お菓子を食べて空になった容器を捨てずに再利用したり。使い終わったら気軽に捨てられるからと言っていましたが、結局は捨てずに長いこと使っていました。
「平和ばんざい 月ばんざい」――1960年に描かれた初期の絵が伝えるもの
会場に入ってまず目に入るのが、「平和ばんざい 月ばんざい」と題された大きな絵です。第13回日本アンデパンダン展に、日本の郷土玩具をテーマに出品した初期の作品です。平和の願いがこめられています。
描かれたのは1960年。ソビエトの宇宙船ルナ3号が初めて月の裏側を撮影したのが前年の1959年です。かこは、セツルメントの子どもたちが宇宙開発の時代を生きていくことに思いを馳せながら、この絵を描きました。子どもたちになじみのあるたくさんの郷土玩具が父らしくぎっしり描き込まれていて、コマの絵の中に「恒久平和」、傘の絵に「へいわ」などの字が書かれています。
平和という言葉が、今また切実に必要とされる時代になってしまっているとも感じます。去年は「戦後80年」という節目の年で平和が多く取り上げられたのに、今年は早くもそういった雰囲気ではなくなってきているように私には思えてなりません。



