坂道を上っていくと、次第に視界が開けてきた。たどり着いたのは、小高い丘の頂上。石碑が立つ一角に出た。有田の陶祖として親しまれる李参平の記念碑である。
そもそも李参平は、文禄元(1592)年からの、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に日本へ連れてこられた朝鮮人陶工。
佐賀藩の藩祖・鍋島直茂の軍に捕らえられ、道案内などの協力を命じられたと推定されている。その後、日本に帰化した李参平は、故郷・忠清道金江の地名にちなみ、金ヶ江三兵衞と名乗った。
佐賀でやきものを焼き始めた李参平は、やがてより良質な陶石を求めて藩内各地を探し歩く。そして元和2(1616)年、有田泉山で良質かつ豊富な陶石を発見。これを原料として、純白の磁器を焼くようになった。
これが、日本における磁器生産の始まりといわれている。その後、李参平が見いだした技術は多くの陶工たちへと受け継がれ、有田焼は発展を遂げていった。
この記念碑が建立されたのは大正6(1917)年。有田焼が創始された元和2(1616)年から300年を記念して建てられたものだ。
炎天下のなか、ひーひー言いながら碑の立つ頂上まで上ってきた。けれど、そこには心地よい風が吹いている。眼下に広がるのは、窯元が集まる有田の町並み。その美しい風景を一望できる。
境内を行き交う列車
そうこうしているうちに、遠くから警報音が鳴り始めた。上りの特急列車を見逃してしまった……。記念碑は神社の入口から思いのほか遠かった。
記念碑を後にし、磁器製の灯籠が並ぶ石段を下りていくと、再び境内に警報音が鳴り響いた。警報灯も赤く点滅している。今度は下りの普通列車が、のんびりと目の前を走り去っていった。
しかし、撮りたいのはやはり特急列車。これを撮らずして帰るわけにはいかない。
そこで、お神札やお守りが並ぶ授与所をのぞきながら、次の列車を待つことにした。ここのお守りには有田焼で作られた珍しいものもあり、眺めているだけでも楽しい。
やがて、また警報音が鳴った。線路のそばまで小走りしてカメラを構えるのは、筆者だけではない。社殿へ向かっていた参拝客も足を止め、スマートフォンを手に集まってくる。




