三国志の将軍も三日経てば別人だった

 思春期のさなかにいる君たちは、日々変化しています。体つきも変わるし、声も変わるし、考え方も、感受性も変わる。読む本も、聴く音楽も、観る映画も、どんどん変わる。変化が速すぎて、自分でも自分が誰なのかよくわからなくなる。自分がどう変わったのか、自分の中で何が起きているのか、言葉にすることが難しい。

 だから、多くの少年少女はある種の「定型」(テンプレート)の中に入ることで、自分を守ろうとします。「定型的な反抗」のポーズをとりあえず採用する。親や教師に対して急に攻撃的・反抗的になったり、家族と口をきかなくなったり、部屋に引きこもったりします。でも、それは仕方がないんです。それは、君たちが変化の過程で非常に傷つきやすくなっているからです。自分を守るために、とりあえず手元にある「出来合いのテンプレート」を身にまとって、自己防衛している。

 テンプレートは自己防衛上は効果的です。でも、あまり長くしがみついていると、今度はその自己防衛のための「(たて)」だったものが、君たちの成長を妨げることになる。人間はディフェンスを固めながら成長することはできないからです。成長するためには、どこかで鎧兜を脱ぎ捨てて、傷つきやすい肌を外気にさらしても、変化する必要がある。

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 難しいんです。自分を守ることは大切だけれど、自分を守ってくれるはずの「盾」が今度は自分の成長を止める「檻」になることもある。成長するためには脇が甘くなる必要がある。時々、武装解除して、傷つきやすい素肌をさらすリスクも冒さなければならない。

『三国志』に、「()、三日会わざれば刮目(かつもく)して相待(あいたい)すべし」という言葉があります。「呉下(ごか)阿蒙(あもう)」という逸話です。呉に呂蒙(りょもう)将軍という勇猛な武将がいました。たいへん戦闘能力は高かったのですが、惜しむらくは学問がなかった。民衆は彼を半分(あなど)って、半分は愛情をこめて「呉下の阿蒙」(呉の蒙ちゃん)と呼んでいました。でも、呉王孫権(ごおうそんけん)が「呂蒙に学があれば……」と嘆き、呂蒙将軍は一念発起(いちねんほっき)して、それから猛勉強することになりました。

 時が過ぎ、かつての同僚であった魯粛(ろしゅく)という人が久しぶりに呂蒙将軍と再会したら、その教養の深さに驚嘆しました。魯粛が「君はかつて『呉下の阿蒙』と呼ばれた人とは思えない」と言うと、呂蒙将軍が返した言葉が「士、三日会わざれば刮目して相待すべし」です。本当の(さむらい)は三日会わなければ別人になっているのだ、と。

 三日経てば別人になるというのが、東アジアにおける人間観です。これはヨーロッパの「アイデンティティー」という概念とはまったく違うものです。三日会わないでいる間に別人になってしまわれては「本当の自分」なんて固定的にとらえようがありませんからね。

「命あるものにとって最大の苦痛は、自分自身に釘付けにされること」

 僕の哲学上の師であるフランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスは、リトアニア生まれのユダヤ人で、ドイツとフランスで学問を修めて、のちにフランス国籍を取得した人です。レヴィナスは、「本当の自分」という概念を否定的にとらえましたが、これはヨーロッパの哲学の伝統においては異端(いたん)の説です。

 レヴィナスは、「命あるものにとって最大の苦痛は、自分自身に釘付けにされて、別のものになれないことだ」と書いています。自我への居着きからいかにして脱出するかというのが、レヴィナスの哲学的なテーマでした。

「居着きを去って、自在を得る」というのが武道修行の目的だということを先ほど申し上げましたけれど、レヴィナス哲学の言っていることは、その武道の哲学にかなり近いんです。この東洋的なアイディアとの親和性がレヴィナスの異端性の特徴だと僕は思っています。

 レヴィナスは「自己同一性(イダンティテ)(identité)」に対して、生命活動の最先端にあって、絶えず変化を続ける営みを「単一性(イプセイテ)(ipséité)」と呼んで、この二つを区別しました。