植物の芽が伸びていく時、植物の先端は陽光を求め、水分を求め、障害物があればそれを避けて、どこまでも伸びてゆきます。活発に細胞分裂して、日々刻々変化成長している植物の先端部分が、その生命体にとって最も本質的な部分だと考えることができます。
それがレヴィナスの言う「単一性」です。これは「自己同一性」とは違います。「自己同一性」はどれほど外形が変化しても変わらない本質のことです。「単一性」は今まさに変化しつつある運動に見られるきわだった個性のことです。
その植物にどんな学名がついていようと、どんなカテゴリーに分類されようとも、三日も見ないでいると、その植物は思いがけないところに枝を張り巡らせて、見たことのない花を咲かせているかも知れない。
どう形態が変わろうとこの草の本質は同一であるということと、変わり続ける運動について「刮目」することのどちらが大切か。僕は変化し続ける先端での活動にこそ生命の本質はあるとする考え方に同意の一票を投じます。
周りから設定された「自分のキャラクター」の呪縛から自由になって
でも、君たちの周りには、変化を妨げる圧力が存在します。先ほど言ったように、自分を守るために採用した「盾」としてのテンプレートがそうです。それは学校生活では「キャラクター」として機能します。
中学校に入ってすぐに友だちができますね。そうすると、みなさんは無意識のうちにキャラクター設定を採用する。でも、キャラクターってあんまり数がないんです。かの夏目漱石の想像力をもってしても、狸、赤シャツ、野だいこ、うらなり、山嵐、坊っちゃんの6類型しか思いつかなかったんですから。ましてや、12歳の中学生には、そんなに複雑なキャラクター設定はできません。だから、ジャイアンとかのび太とかスネ夫とか出木杉君とか、いくつかのテンプレートに分類されてしまう。
気に入らなくても、一度キャラが設定されると、集団内に自分のニッチ、居場所はできます。だから、キャラを演じている限りは、仲間は安心してくれる。でも、君たちは成長する時期ですから、同一キャラにいつまでも居着いているわけにはゆきません。気がつくと、みんなと違う本を読んでいたり、違う音楽を聴いていたりする。みんなが触れないような話題を口にすることもある。すると、たちまち仲間たちが圧力をかけてくる。「らしくないことするなよ」と。
「らしくないことするなよ」というのは「最初に設定されたキャラクターから出るな」という意味です。なんと、社会が圧力をかけてくる以前に、中学生同士がお互いを狭いニッチに閉じ込めて、変化することを妨害しているんです。友人の成長を妨げている。
これは本当によくないことだと思います。なんで友人たちの変化成長を邪魔するんですか? 喜ばしいことじゃないですか。変化成長して、「三日会わないうちに別人になった」ら。それこそ東アジア的な自己統治のあり方なんですから。
だから、せっかくですから、今日この話を聞いてくれた君たちだけでも、「らしくない」という言葉を使うのをやめてくれませんか。しばらくでいいです。3週間くらいでいいから。そして、自分の周りを見てほしいんです。
君たちがキャラ設定して、「こいつはこういうヤツだ」と決めつけていた友だちが、実は日々変化し、より複雑な存在になっていることに気づくはずです。これまでのグループ内的なキャラ設定に収まりきらなくなってしまったというのは、成長したということなんです。喜ばしいことなんです。ぜひ、それをにこやかに受け容れて欲しいと思います。
講演会の全編は『街場の成熟論』文庫版でお読みください。貴重な講演会の収録をお許しくださった、詩人でもある海城中学高等学校の大迫弘和校長に深く感謝いたします。