「これは世界一のショコラだよ」
「これは世界一のショコラだよ」と彼は言い、仕事だとまた家を出ていった。
中にはカカオパウダーのかかったトリュフがごろごろと入っていた。トリュフは知っていた。小さい頃から菓子を作るのが好きだったので、チョコレートを刻んで溶かし生クリームや洋酒と混ぜたトリュフを作ったことがあった。よく似た、石ころのような見た目。
指先でひとつ摘まんで口に入れ、驚愕した。香りたつ苦いカカオパウダー、ぱきりと割れる卵の殻のような薄いチョコレート。その中の、もっちりした食感に、これはなんだ、と雷に貫かれたようになった。濃厚なチョコレートの香りがするが、舌触りが違う。簡単に液体化しないのに、限りなくなめらかで、ふわりと溶ける。自分の手で丸めた、トリュフと呼んでいた代物とはまったく違った。脳がとろけそうになった。フランスのショコラ、そしてチョコレートと生クリームを混ぜたガナッシュなるものの洗礼を受けた瞬間だった。
友人の父親が「世界一」と言ったそのショコラトリーは『LA MAISON DU CHOCOLAT』、創業者のロベール・ランクスは「ガナッシュの魔術師」と称されたショコラティエだ。『LA MAISON DU CHOCOLAT』は今やあちこちの百貨店に入っているが、私が大学生の時は東京に第一号店ができたばかりだった。京都の学生がひょいひょい買いにいけるものではない。働きだすようになった頃、大阪の梅田阪急デパートに入り、浮きたつような心地で買いにいった。茶色いリボンのかかった小さなショコラの箱を手にした時、掌の中に世界一があるのだと幸福感に満たされた。
今も『LA MAISON DU CHOCOLAT』のトリュフは好きだ。オランジェットもエクレールも大好きで、よく買っている。けれど、無数のショコラトリーも知ってしまい、大好きが増えてしまって「世界一」を決められない。幸せな悩みではあるのだけど。
いつの日か、誰かに「世界一のショコラだよ」と言ってリボンのかかった箱を手渡してみたい。その時、私は世界一の甘美さを誰かと共有するのだ。
千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。2008年、第21回小説すばる新人賞を受賞した『魚神』でデビュー。09年同作にて第37回泉鏡花文学賞、13年『あとかた』で第20回島清恋愛文学賞、21年『透明な夜の香り』で第6回渡辺淳一文学賞、23年『しろがねの葉』で第168回直木賞を受賞。近著に『マリエ』『雷と走る』『眠れない夜のために』『燻る骨の香り』、食エッセイ『わるい食べもの』シリーズなど。
西淑(にし・しゅく)
福岡県生まれ。雑誌、広告、パッケージ、書籍の装幀などのイラストを手がける。千早茜との共著に『眠れない夜のために』がある。
INFORMATION
記事の安倍川餅が試食できる、千早茜さんと菓子研究家の福田里香さんによるトークイベント(有料)の参加申し込みは9/5の正午まで。
イベント名: 『しろとくろの偏愛』発売記念 千早茜さん×福田里香さん トークイベント
開催日時: 2026年9月11日(金)18:00開演
会場: 文藝春秋サロン(東京都千代田区紀尾井町3-23)
出演者: 千早 茜(作家)、福田 里香(お菓子研究家)
参加費:2800円(トークイベント、サイン会、お茶菓子、特製ポストカード)
募集人数:20名
募集締切: 2026年9月5日(土)正午
抽選後の当選連絡: 2026年9月6日(日)にメールにてご連絡
参加方法: 事前申込・抽選制(詳細ならびに応募フォームはこちら↓)
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfAqW-gN4O0eyPG3WmKhoU6TyqQ-YalZSYiNb9xI9Czm0s60g/viewform?usp=header
