父親は「船の事故で亡くなった」と聞かされて育ったが…
――祖父母から両親のことは、なんと聞かされていました?
川越 母は生きているけれど、東京に出て病院に通っている、と。そして父は、船の事故で亡くなったと。そう聞かされて育ってきました。
この活動を始めるにあたって、自分で名前を決めたくていろいろ考えていたら、たまたま実家で母子手帳を見つけたんです。そこに書かれていたのが、私にとって未知の名字である「川越」でした。閉ざされていた「川越」を私が生き返らせようと思って、この芸名に決めたんです。それが父の名字だとは、そのとき初めて知りました。
父の存在を知ってから、ダメ元でFacebookで名前を検索してみたら、見つかったんですよ。勇気を出して連絡したら返事があって、さらに私の活動も知っていて応援してくれていました。
――下の名前「にこ」には、どのような由来が。
川越 いじめが原因で笑顔が減り、周りから「根暗だね」と言われるようになってしまって。祖父母もお店が忙しくて1人でご飯を食べることも多くて、鏡の前で笑顔の練習をしながら食事をしていたほどだったんです。
そんなとき、高校の先輩が「笑ったほうがかわいいのにもったいない」と、放課後に笑顔の練習に付き合ってくれて。その経験から、今度は私が笑顔を広められるように「にこ」と名付けました。
「荷物持ちをさせられたり…」同級生にいじめられた学生時代
――祖父母は厳しかったそうですね。
川越 すごく真面目というか、昔ながらの考え方の人たちで。結構、厳しかったですね。祖父のほうが厳しくて「真面目でいなきゃ」という型に縛られていました。
少しでも肌が見えるような服を着ていると、「そんな格好で外に出るな!」と引っ張られて家に戻されたり。門限も厳しくて、高校生で夜9時。少しでも過ぎると、これまた家に引っ張り込まれるみたいな。
――経済的に困っていたようなことは。
川越 裕福でした。祖父母は厳しかった一方で、私に何でも与えてくれたんです。最新のゲームとかケータイとか。周りのみんなは、それをすごく羨ましがって。
また、ふたりは誰にでもすごく尽くすタイプで、例えばお祭りに友達と行くとなると、私の家に集合した友達みんなに5000円とか1万円とか渡しちゃうんですよ。
それが周りからは妬みの対象にもなって、いじめに繋がっていくんです。
いいカモでもあったんでしょうね。友達が私を奴隷扱いするようになって。パシリというか、荷物持ちをさせられたり、ゲームを奪ったりされました。羨ましさから、いじめがどんどんエスカレートしていきました。

