メソポタミア地方を流れるティグリス=ユーフラテス川はトルコ、シリアおよびイラクを流れる国際河川だから、国境やダムを越えての舟旅は大変だろうと読む前には想像していた。ところが、河口まで下っていく話ではない。源流付近トルコ東部の舟旅である。著者の『イラク水滸伝』は両河が流れ込むペルシア湾頭の湿地帯、最古の都市文明誕生の地の話だった。
今回の源流付近は辺鄙な所と読者は思うかもしれないが、ここは「肥沃な三日月地帯」にあたり、都市文明誕生に先行する時代の重要な場所なのである。
やや奇妙な印象を書名に受けるが、英文学の古典『ボートの三人男』をもじったと「あとがき」にある。19世紀末、都市生活に疲れた中年男3人がテムズ河をボートで漕ぎ出し、歴史を秘めた町や村、城や森をたどるユーモア小説である。このボートにはテリア種のモンモランシーという名の、小生意気でかわいい牡犬も同乗している。
本書の3人は絵が上手な山田隊長、ゲジゲジ眉のガイドのレザン、そして写真担当の著者の3人である。カヌーに犬は乗せていないが、上陸した先で犬の話や写真がよく出てくるのは、モンモランシーにちなんでのようだ。英国の中型犬とちがって、西アジアに生きる犬は、仔犬はむくむくして愛らしいが、成犬になると大きくたくましい。アッシリアの浮彫の大きな猟犬の末裔になるのではないだろうか。クルド人が白犬に「シロ」という名をつけているが、後半で名前の理由がわかる。
3人が1艘のボートに乗るのではなく、ガイドは車で付き添い、日本人2人が1人乗りのカヌーに別々に乗る。写真ではぷかぷか浮かんでいて心細い印象だが、日本で練習して出かけていて練習の話も楽しい。
トルコ東部からイラク北部には人類史上の重要ないくつもの遺跡があり、著者はトルコ式蒸し風呂ハマムへ行ったり、サズという民族楽器を扱っている店に寄ったりしながらも、遺跡も訪問している。世界遺産トルコ南東部ギョベクリテペ遺跡は従来の文明社会成立への説が覆るような大発見であった。イラク北部クルディスタンのシャーニダール洞窟からはネアンデルタール人の骨が出土し、死を悼む儀礼が推測されている。ティグリスの支流大ザブ川の小さな支流域の村の、アッシリアの「ダム」と工事についての楔形文字の記録に著者は大いに感動している。
古代人に畏敬の念をあらわし、「川旅は土地のいちばん低いところを行く旅」との隊長の名言が全編を貫き、現地に生きる人々を見上げる視線はやさしく、クルド人については慎重に執筆している。著者の本はどれも、ユーモアがあり、かつ嫌な感じを残さない。著者は冒険家だが、多方面の著作を読破している読書家でもあって、英文学を本歌とした本歌取りは見事に成功している。
たかのひでゆき/1966年東京都生まれ。ノンフィクション作家。2013年『謎の独立国家ソマリランド』で講談社ノンフィクション賞、24年『イラク水滸伝』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書多数。
こばやしとしこ/1949年千葉県生まれ。古代オリエント歴史学者。近著に『アッシリア全史』『楔形文字が語る古代オリエント』。
