今年デビュー15周年を迎えた作家・丸山正樹さんの最新刊『夢見る言葉』は、デビュー作『デフ・ヴォイス』から続く同名シリーズ5作目にして最終巻だ。主人公は、家族の中で唯一耳が聴こえる子(=コーダ)として生まれ育った荒井尚人。埼玉県警事務職員を経て手話通訳士となり、以来ろう者たちのために身を砕き、時に刑事・民事事件の法廷通訳もこなす。
しかし本書の第1話では荒井ではなく彼の妻みゆきの連れ子・美和の高校生活の悩みが綴られ、第3話では警部補昇任試験を控えた刑事でもあるみゆきの、聴こえない子・瞳美を育てる聴こえる母親としての葛藤が描かれる。確かにシリーズ読者にとってはおなじみのキャラクターではあるが、そうした理由を丸山さんはこう明かす。
「実は、荒井という男を描くことに抵抗を感じるようになってしまって……。彼に自分を投影したつもりはないのですが、なんだか距離が近くなり過ぎたとも感じています。でも荒井家に愛着はあるので、美和の話なら、あるいはみゆきの視点からなら描いてみたいと思えた。さらに本書刊行後、ある読者から『荒井はもう“ヒーロー”じゃない』と指摘され、納得しましたね」
荒井は、丸山さんいわく「世を拗ねてくたびれた中年男」だが、一方で手話という特殊技能を使って事件の真相に迫る様子は名探偵さながら。その活躍ぶりが本シリーズの読みどころのひとつだ。ところが……。
「物語が――作中の時が進んでいくにつれ、彼はどんどん“普通”になっていったんです。もちろん、彼を一人の人間としてその心情を丁寧に描いていった結果なので、嬉しい誤算です」
そもそも、丸山さんがろうの世界を小説のテーマに据えたのは、デビューのための巧妙な戦略だった。
「松本清張賞にふさわしい社会派ミステリーの材となり得て、まだ誰も扱っていない、且つ私にしか書けないテーマとして見つけたのがろう者たちの世界でした。というのも、妻に頸椎損傷の障がいがある関係で介護施設などで彼らと接する機会が昔から少なくなかった。結局、受賞には至りませんでしたが目に留めてくださった方がいてデビューにこぎつけました。でも、当時は特定のろう者の知り合いがいたわけではなく、すべて資料本からの知識でした」
ところがデビュー作をきっかけに、丸山さんとろう文化は徐々に接近。さまざまな交流を経て、いまや分かち難い関係となった。
「今は、知り過ぎたためにかえって書きづらくなってきた感があります。最初は、ろう文化に対して非常にフラットだったし、見聞きするもののすべてが新鮮でした。“日本手話”という言語の豊かさ、日本のろう教育の歴史、そして彼らが置かれた立場の現在地――。私にとって読書とは“驚きと感銘”をもたらしてくれるものです。執筆のモチベーションも、読者にそれを与えたいという思いが強い。そして小説であればエンタメ要素も欠かせない。そんな思いで本シリーズを書き続けてきました。今回も、聴覚だけでなく視覚も不自由な盲ろう者のこと、ろう者たちの恋愛観など、ぜひ多くの人に知ってほしい事柄を、登場人物たちの日常に託して描きました。そうして今は――現時点で私が書けるものはすべて書ききったという思いなんです」
誠実さがにじみ出た文章そのままの、丸山さんの言葉。人気シリーズの終了は惜しいが、その表情は清々しかった。なお、スピンオフである「刑事何森(いずもり)」シリーズなどは今後も続けていく予定とのこと。
まるやままさき/1961年、東京都生まれ。シナリオライターを経て『デフ・ヴォイス』で2011年に小説家デビュー。同作の続編のほか、スピンオフ「刑事何森」シリーズも好評を博す。他の著作に『夫よ、死んでくれないか』『青い鳥、飛んだ』などがある。

