死ぬときでさえもチャンスを逃したくない

――ところで『魔女になりたい』の冒頭で「劇的な死に方がしたい」といきなり理想の死に方について書かれています。なぜ「劇的な死に方」なのでしょう?

伊藤亜和さん ©佐藤亘/文藝春秋

伊藤 ひっそりと死ぬというのが、自分の中で考えられないんです。私、自分のことを「コンテンツ」だと思っているんですよ。自分の全部をコンテンツとして他者に提供したい。それは死に方であっても同じなんです。

 だから、私が上空にポンって打ち上げられて散ったら面白いかなとか、パンと撃たれたら普段だったら絶対に言えないようなクサいセリフを死に際に言えるかも、とか(笑)。そういうときにしか経験できないことがあるんじゃないかと思うんです。だから、死ぬときでさえもチャンスを逃したくないし、みんなに「うわあ、死んでる」って、悲しみを通り越して強い衝撃を与えたい。アトラクション的な最期でありたいんです。

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――自分自身を「コンテンツ」として提供したいという感覚は、いつ頃からお持ちだったのですか。

伊藤亜和さん ©佐藤亘/文藝春秋

伊藤 昔からです。物心ついたときから、容姿について言及されたり、「将来はこういう仕事に就くんだろう」みたいなことを他人に勝手に決めつけられたりすることが、普通の人よりも多かったからだと思います。自分の意思と関係なく、周囲だけが盛り上がっているという状況が多かった。

――そういう周囲の要求に対して、どういう気持ちで応えてきたのでしょう?

伊藤 周囲が見ている通りにはなりたくなくて、予想を裏切って驚かせたいという気持ちですね。やりたくない仕事をやったこともありますけど、でも「辛い」とか「痛い」とか「怖い」とか聞くと、むしろやってみたくてたまらなくなってしまう。そういうネガティブな経験の方が、人に話せるというか。

『魔女になりたい』

伊藤 楽しいことを楽しいまま話しても、人ってあんまり聞いてくれないんですよね。例えば「足が長い」とか「細い」って、私にとっては普通のことですけど、それをそのまま話すと自慢に聞こえてしまう。だから、辛い状況を自分でちゃんと面白くパッケージングして提供できること、それによって誰かが楽しんでくれるということが私にとっては救いだし、そのおかげで自分を肯定できるのかなと思います。何かを経験して、自分の中で「ドキドキしたな」と思うだけではなくて、それを人に話したい。自分の中に取っておけない。もったいなくて、人にもあげちゃうんです。