体重200キロであることを明かし、100キロ以上の方をレンタルできるサービス「デブカリ」などで活動しているインフルエンサーのゆりんさん(36)。
元々は痩せ型で体重は30キロ台だったという彼女に、過食症だった過去や体重が変化した心境、周りの反応などについて詳しく聞いた。(全2回の1回目/続きを読む)
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「健康のためにもう少し痩せな」と言いながら応援してくれる家族
――一緒に来ていた方はマネージャーですか?
ゆりん あ、リアルパパです(笑)。よくマネージャーに間違われます。
仕事の送り迎えをしてくれたり、現場に付き添ってくれたりしています。例えばさっきみたいに階段を登る時に、父だとこうすれば私が楽に登れるってのがわかっているので、やりやすいんですよね。
――ゆりんさんの活動を積極的に応援してくれているんですね。
ゆりん 私の家族は母も父も弟もみんな応援してくれています。ただ、「健康のためにもう少し痩せな」とは言われていますね。
――現在、体重は200キロとのことですが、学生時代からでしょうか?
ゆりん いえ、10代後半の時は30キロ台でした。むしろガリガリって感じで。両親も姉弟もみんな痩せ型で、私も普通体型だったんですけど、ちょうどその頃ダイエットが流行っていて。周りの友達がみんなやっていたんですよ。
それで私も極端な食事制限と運動を始めたらどんどん痩せてしまって。気づいたら固形物を受け付けない体になっていました。最終的には水を飲んでも吐いてしまって。拒食症ですね。
「この点滴は何カロリーあるんですか?」
――病院には行ったのでしょうか。
ゆりん 行きました。何も食べられないので、毎日病院に行って点滴を打って栄養補給して。母からも相当心配されてました。
最初は点滴も拒否していて。「この点滴は何カロリーあるんですか?」って。渋々点滴だけは続けましたけど。
でも、当時の自分はガリガリの体なのに、「まだ痩せなきゃダメだ」って思ってしまって。
――食べれるようになったのはいつ頃でしょうか?
ゆりん ダイエットを始めてから半年くらいが経った時に、いよいよ死ぬかもしれないと思ってアイスだけ食べ始めました。6個入りのピノを1個だけ。アイスって溶けるから他の食べ物よりも罪悪感が少なかったんです。
それから徐々に量を増やしていって。でもそしたら今度は吐くようになってしまって。ちょうどその頃に兄が亡くなったのもあって、メンタル的にもどん底で、たくさん食べては全部吐くっていうのを繰り返すようになりました。
大きなバケツになみなみの量を吐くんですよ。親にもご飯食べたよって言って、こっそり全部吐いて。そんなことをしているから結局体重も増えなくて。
――心身ともに落ちてしまったと。