自身のYouTubeチャンネル「@見た目だけ外国人の生活」で、"日本育ちの黒人女性"としてのリアルな日常や本音を発信し、多くの共感を集めるジェシカさん(27)。コンゴ民主共和国で生まれ、5歳のときに父の留学を機に富山県に住み始めた。

幼少期のジェシカさん

 言葉も文化も違う環境で、彼女はどのようにして自分の居場所を見つけていったのか。来日の経緯から、保育園でのサバイバル術、そして保健室登校を経験した小学校時代まで、波乱万丈の幼少期を振り返ってもらった。

「とにかく勇気を出して"まぜて"と言った」

 来日当初、家族は誰も日本語を話せなかったという。見知らぬ土地での生活は、5歳のジェシカさんにとっても大きな挑戦だった。保育園に入っても、周りの子どもたちが何を話しているのか全く分からず、ただ輪の外から眺めているだけの日々。そんなジェシカさんが、最初に覚えた言葉が「まぜて」だった。

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「この3文字を言えば、みんなの輪の中に入れるんだって気づいたんです。そこからは、とにかく勇気を出して"まぜて"と言って飛び込んでいきました。遊びながら、体で日本語を覚えていった感じですね」と、当時を振り返る。

 家に帰れば、その日覚えた新しい言葉を母親に教えるのが日課に。母娘二人三脚のその繰り返しが、ジェシカさんの日本語能力を飛躍的に向上させた。しかし母国語だったフランス語はあっという間に忘れてしまい、今ではほとんど話すことができないという。

 保育園では持ち前の明るさで人気者だったジェシカさんだが、小学校に入学すると状況は一変。低学年のころから、上級生から廊下ですれ違いざまに心ない言葉を投げつけられるようになった。

 誰にも相談できず、次第に学校へ足が向かなくなり、保健室で時間を過ごす「保健室登校」の日々が続いた。しかし、ある日家で「学校に行きたくない」とぽつりと漏らすと、それを聞いた父親が「どうして今まで言わなかったんだ!」と激怒し、単身学校へ乗り込んだそう。「父は担任の先生に『これは教師の責任だ』と強く抗議し、『校長先生を出してください』と迫ったそうです」。

 父親の毅然とした態度が学校を動かし、全校集会が開かれることになった。「それ以降、嘘のようにそういうことを言われなくなりました」。

 転機が訪れたのは小学5年生のとき。友人に誘われてバレーボールを始めたことだった。

 ジェシカさんの中高時代の壮絶なエピソードや高校2年生での父親との突然の別れなどついては、インタビュー本編でさらに詳しく語られている。

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