目立つことが大好きで議員である父の来客の前でピンク・レディーを披露
——たしかに背が高いですよね。
中島 高校入学時に167cmあって、この前の人間ドックでは172.3cmありました。父は昭和5年生まれで164cm、母は昭和12年生まれで160cm。
兄たちも175cm以上ありましたね。母は「若い頃は史恵よりスタイルが良かった」なんて言っていますが、そう考えると母譲りかもしれません。感謝ですね。
——学校でも目立つタイプだったんですか?
中島 私が小学5年生の頃から父が政治の仕事をしていたのですが、たまに父の関係者の方が家に来ると、頼まれてもいないのに庭の大きな石の上でピンク・レディーを踊ったりしていて。学級委員や班長にも率先してなって、みんなで何かを作るのが好きでしたね。目立つことが大好きだったんです。
班決めでもあまってしまった友達がいると「一緒にうちの班に入らない?」って声をかけたりして。そういう意味では、3人きょうだいの中で私が一番父に性格が似ていると言われていましたね。
「お宅の娘さんかい?」「いや、知らないねえ」
——ご両親はどんな方だったのでしょうか。
中島 父は市会議員から長野県議会議員を5期、計24年間務めて、最後は議長まで務めました。家では寡黙でじっと黙っている人でしたね。その分、母がすごく口うるさくて「近所の人に会ったら挨拶しなさい!」「人に迷惑をかけちゃダメ!」といつも怒られていました。
ちなみに短大生の頃、エアロビ教室に向かう電車の待合室に父がいたので、手を振りながら近づいて行ったんです。そうしたら隣にいたおじさんが父に「お宅の娘さんかい?」って聞いていて。父は「いや、知らないねえ」なんて言って見知らぬフリをしたんですよ。帰って母に話したら「あなたがそんな派手な格好をしているから、お父さんも恥ずかしかったのよ!」って一喝されました。
昼は働いて、夜はマハラジャに通う……みたいな生活
——お仕事をしながら、ディスコの「マハラジャ」にも通い詰めていたとか。
中島 短大に通い始めた頃にちょうど長野にマハラジャができたんです。エアロビをして、昼は働いて、夜はマハラジャに通う……みたいな生活でしたね。いわゆるバブル全盛期で、「ピンキー&ダイアン」や「ノーベスパジオ」のボディコンを着て。もうキラキラした毎日で、踊るのが楽しくてしょうがない時代でした。
そんな時、マハラジャのVIP席にいた男性にナンパされて、そのあと沖縄へ駆け落ちすることになっちゃったんです。短大を卒業して就職1年目、21歳くらいの頃でした。
写真=佐藤亘/文藝春秋
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