53歳の時に子宮を全摘出
——普段はしっかりバランスを取られているのですね。
中島 基本的にはガチガチな節制はしていなくて、お酒も大好きです。大事なのはバランスですね。「食べ過ぎちゃったけど、今の自分に必要な栄養だったんだ」とプラスに捉えて、翌日に少し控えめにして調整するようにしています。この考え方もヨガに出会って変わった部分です。
——53歳の時に子宮を全摘出されたとのことですが、どのような経緯だったのでしょうか。
中島 人間ドックで子宮筋腫が9cmまで大きくなっているのが見つかったんです。42歳から46歳まで不妊治療を続けていたのですが、子供には恵まれず、婦人科の先生から「今後のホルモン治療のことも考えると摘出したほうがいい」とアドバイスを受けて決断しました。
初めての入院・手術でしたが、コロナ禍も重なり、「まずは健やかな心と体があること」のありがたみを痛感しました。デビューした「シェイプUPガールズ」の名前の通り、何をするにも「健康な心と体」がすべての原点なんだと再確認させられた出来事でしたね。
——ちなみに、お父様は中島さんの芸能活動を応援してくれていましたか?
中島 若い頃はたくさん心配をかけたので顔向けできない時期もあったのですが、1998年の長野オリンピックで聖火ランナーを務めさせていただいた時、当時県会議員をしていた父が心から喜んでくれたんです。地元に少しだけ錦を飾ることができて、本当に嬉しかったです。
昭和5年生まれの父は市会議員、県会議員、議長まで務めて、2017年に87歳で亡くなりました。リンゴ園を営みながら政治家としても有言実行を貫く人でしたね。声が大きくて酒も食も豪快、口数は少なかったけれど地元の暮らしを良くするために奔走して「百姓は面白い」という本まで出したりして。美空ひばりさんが大好きな、豪快で心優しい父でした。
父が事故で入院して言葉が喋れなかった時、筆談で「史恵がしっかり頑張ってくれれば、父さんは大丈夫だ!」とメモに書いてくれたんです。その言葉は今でも私を奮い立たせてくれるお守りとして、大切に保管しています。
