医師として活躍するおおたわ史絵さんは、幼い頃から母の機嫌に振り回され続けてきた。そしてやがて母は、鎮痛剤として使われる「オピオイド」という注射薬に依存するようになっていく。
「なんで注射をくれないのよ、痛いって言っているのに!」と大暴れする母に、家族はどう向き合ったのか。依存症専門の外来を受診するまでの経緯を、おおたわさんが語った。
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「我が家は何をしているんだ」と気づいた瞬間
おおたわさんの母は幼少期に患った盲腸をこじらせ、その後遺症として腹痛発作を繰り返していた。父は医師として、苦しむ母を楽にしてあげたいという思いからオピオイドを投与し始めた。最初は月に1、2回だったものが、最終的には1日に3本打ち続けるまでに増えていった。
おおたわさんが依存症の深刻さに気づいたのは、大学の病院実習でオピオイドのアンプルが金庫で厳重管理されているのを目の当たりにした時だ。「我が家は何をしているんだ」と直感し、帰宅後すぐに父へ「ママの注射をなんとかやめさせよう」と訴えた。
「なんで注射をくれないのよ、痛いって言っているのに!」と大暴れ
しかし、薬を取り上げようとすると母の抵抗は激しかった。「なんで注射をくれないのよ、痛いって言っているのに!」とおもちゃを取り上げられた子どものように騒いだかと思えば、か細い声で「ねぇ史絵、ママ具合が悪くてどうしようもないよ、注射をちょうだい」と懇願する。その繰り返しだった。
半ば強制的に入院させたこともあったが、2週間の隔離では本質は何も変わらなかった。退院の車の中から荒れ続ける母の姿に、おおたわさんは「落胆続きの人生で、これ以上落胆しようがないところまで落ちていた」と振り返る。
父から「ママがもう限界だ」と電話が…
転機は父からのSOSだった。70代になった父が「ママがもう限界だ」と弱々しい声で電話をしてきたのだ。その頃の母は日に4本も5本もオピオイドを打ち、薬を渡すのを拒む父に手をあげるまでになっていた。
そこからおおたわさんは死に物狂いで依存症を診てくれる病院を探し始め、やがて表参道にある「外苑神経科」の竹村道夫院長にたどり着く。そこで告げられたのは、「お父さんとあなた、2人で入院しなさい」という予想外の言葉だった。
患者は母のはずなのに、なぜ家族が入院するのか。その理由と、入院生活が父娘にもたらしたものについては、インタビュー本編で詳しく語られている。
〈つづく〉

