幼い頃から常に母の機嫌に振り回され、顔色をうかがいながら育ってきたという、おおたわ史絵さん。やがて母は薬物依存症に陥り、「いっそ死んでくれ」と願うほど、母娘関係に苦しんだという。

「母を殺してしまうかもしれない」と思うようになったおおたわさんは、母と“絶縁状態”になり、その後、母は自宅で孤独死してしまう。母が亡くなった時、どのような状況だったのか。母の死に直面してどんな思いを抱いたのか。話を聞いた。(全5回の5回目/最初から読む)

おおたわ史絵さん ©鈴木七絵/文藝春秋

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絶縁状態になった母との関係

――お母さんと距離を取るようになってから、心境に変化はありましたか。

おおたわ史絵さん(以下、おおたわ) 亡くなった父の残した診療所は、実家と同じ建物にありました。そのため、診療所を継いだ私は実家に行かざるを得なかったのですが、母がそこに住んでいるわけです。

 私がいるのが分かると、近くをうろうろしたり音を立てたりして存在を誇示してくるのですが、それを一切聞こえていない、見えていないふりをし続けるのはすごく精神力を要するんですよね。それが何年もずっと苦しかったです。

 うちには昔から家政婦さんが来てくれていて、家事ができない母の生活の面倒を見てくれていたのですが、母がその家政婦さんを突然解雇してしまったんですね。おそらく解雇すれば私が面倒を見にくると思ったんだと思います。

 どんどんゴミが溜まっていくような状況になってしまっていたのですぐに家政婦さんを雇い直したのですが、さすがにもう介護の手を入れないと追いつかないなと。

 

――当時、お母さんはおいくつだったのですか。

おおたわ 76歳です。父が亡くなってから10年ほどずっと距離を取り続けていたのですが、介護が必要であることや介護申請の話をしなければならなかったので、何年かぶりに母と面と向かって話をしたんです。意外にも素直にうんうんと話を受け入れていて、従順な態度を取っていました。

 母が亡くなったのは、その矢先のことでした。