無理解と偏見の中で強いられた家族の孤独な戦い
――お母さんが存命の頃、依存症患者やその家族に対する偏見などを感じることはありましたか。
おおたわ 昔は今よりもずっと偏見が強かったと思います。薬物中毒なんて言ったら「ダメ人間」だと思われていたと思いますし、そもそも、私が研修医だった頃には「薬物依存」について医学部で教えていなかった時代なんです。
薬物依存専門のドクターもいませんでしたし、治療が受けられる場所を調べる術もありませんでしたから、自分たち家族だけが孤立していて、孤独な戦いの中にいるのだと思い込んでいました。
日本だとまだ、家族と距離を取ったり絶縁したりすることについて「冷たい」と思われる風潮が残っていますし、私に「実の母親のことをひどく言うなんて」と言う人もいます。でも、その人たちは当事者ではないので、周りからどう言われようと自分の人生は自分で決めていけばいいと思っています。
――今でもそういった偏見を感じることはありますか。
おおたわ 公表してからはほとんどありませんね。「依存症」が病気であると理解されて、随分風通しが良くなったと感じます。もしかすると、偏見を持つ人が私にアプローチをして来なくなり、理解のある人だけが私の周りに残っているだけかも知れませんが。
主人公としての自分の人生を生きてもらいたい
――最後に、家族の問題に悩んでいる人に向けてメッセージをいただけるとうれしいです。
おおたわ 私よりもずっと苦労されている人はたくさんいらっしゃるので、私から言えることは少ないのですが……。満点の幸せなんていうものはどこを探してもないし、隣の芝は青く見えますけれど、人生は不公平ですから、みんなに「平等」が与えられているわけではないんですよね。
「どうして自分のうちだけこんなひどい状況なんだろう」とか「どうして自分の親はこんな人間なんだろう」と思うことはあると思いますけど、不公平の下に与えられたものの中で、自分がどうしたら一番健やかでいられるか、どうしたら一番幸せに近づけるかということを追求し続けてほしいなと思います。
不幸な境遇があると、どうしてもその不幸を真ん中に物事を考えてしまって、「その中で自分はどういう風に生きるか」ともがいてしまうんですよね。
でも、そういう時には「自分が主役なんだ」ということを必ず思い出してもらいたいです。どんな不幸にも引っ張られることなく、巻き込まれることなく、揺さぶられることなく、主人公としての自分の人生を生きてもらいたいなと思います。
撮影=鈴木七絵/文藝春秋
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