「自分が虐待されていたと思っていなかった」“虐待”や“毒親”という言葉を使わない理由
――親子関係の中でも特に、母と娘ならではの難しさがあったと思いますか。
おおたわ 母からしてみると、私のことを自分の分身みたいに思っていたと思います。一方で、最大のライバルみたいに思っている時もあるんです。
第三者に私の悪口を言う時はいつも「自分と比べて史絵はダメだ」とか「自分と比べて史絵は醜い」というように、必ず自分と比べて物事を言っていました。
だから私が母を追い越していくことがとても耐え難かったのでしょうし、私が自我を持ったりすることを嫌ったのだと思います。
――おおたわさんは「毒親」や「虐待」という言葉を使わないそうですが、それはどうしてでしょうか。
おおたわ 自分が虐待されていたと思っていなかったんです。体罰はありましたけれど、どこの家庭もそんなものなんだろうと思っていましたし。
「毒親」という言葉も流行していますけど、誰しも毒を持っている部分はあると思うんです。だから私にとっては、虐待された、毒親だったという発想はあまりなかったです。
「この体験を語らずには自分という人間を語れない」母娘関係を公表した経緯
――母娘関係を公表しようと思ったのはなぜですか。
おおたわ 自分の根源なので、この体験を語らずには自分という人間を語れないような気がしたんです。この出来事を1つ乗り越えて解消しないことには、自分の人生が成立しないといいますか、次にいけないような気がして。
あとはやっぱり、どこかに吐き出したかった、誰かに聞いてほしかったという気持ちはずっとあったんですね。
母が亡くなってから何年も公表していなかったのですが、関係者が随分亡くなってしまって。だから私が母について書くことで傷付く人がいなくなったことで初めて、公表することに決めました。
――公表して、どんな反響がありましたか。
おおたわ 親子関係や依存症の問題で苦しんでいる人から、たくさんお便りをいただいたりブログにメッセージをいただいたりしました。そういったご意見を寄せていただいてはじめて、いろんな方がいろんな思いを持って、私と同じような問題に苦しんでいることがわかりましたね。

