薬物依存症の母を持つ医師・おおたわ史絵さんは、父とともに依存症専門の外来を受診し、群馬県にある「赤城高原」のホスピタルでグループセラピーを受けることで、母の薬物依存に正面から向き合う決断をした。

 数日間の入院ののち、父娘は母に「もううちでは注射は手に入らない」と宣言。驚くことに、母はそれきり「薬がほしい」と言わなくなったという。しかし、薬物という依存先を失った母が次に向かった先は、テレビショッピングだった。

 おおたわ史絵さん ©文藝春秋

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「未開封の段ボールで部屋が埋め尽くされるようになっていった」

 薬物を手放した母は、代わりになるものを求めて薬局やクリニックを渡り歩いたが、満足のいく薬は見つからなかった。そして今度は、別の依存へとのめり込んでいく。おおたわさんは当時の様子をこう語る。

「テレビショッピングを見ながら片手に電話、片手にリモコンを持って、家電、食料品、化粧品、掃除用具など、1日中何かを注文しているような状況でした。だんだん何を買ったか分からなくなって、未開封の段ボールで部屋が埋め尽くされるようになっていったのです」

 その後、長年の闘病の末に父が亡くなると、母はおおたわさんへの依存を強めていく。毎日のように「あそこが悪い、救急車で病院に行く」と電話をかけてきては気を引き、放っておくと親戚に悪口を吹き込んだり、銀行に虚偽の申告をしたりするようになった。

 

「このままでは母を殺してしまうかもしれない」母親のとの絶縁を決意

 医師の仕事をしながら父の診療所の継承手続きや相続書類の収集にひとりで追われていたおおたわさんは、ある日とうとう限界を迎える。

「堪忍袋の緒が切れた私は、思わず『もういい加減にして、これ以上私に迷惑をかけないで』と怒鳴りつけ、持っていた書類ケースを母の肩に叩きつけました」

 よろけた母の姿を見て我に返ったおおたわさんは、「このままでは母を殺してしまうかもしれない」と感じ、「今まで育ててくれたことには感謝しています。でもこれから先、頼ることも頼られることもありません」と伝え、電話にも出ない、口も利かない絶縁状態を選んだ。

 母との関係でなぜ絶縁を決断するに至ったのか、その詳細はインタビュー本編で語られている。

〈つづく〉

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