ギャル・陽キャ枠を狙っていたが…「現実は違っていた」

――受かったのは何歳頃だったんですか。

望月 高校3年生です。もうラストチャンスで、これで落ちたら看護学校を受けようと思っていたんです。そうしたら通って「じゃあアイドルになろう」と思いました。

 ただ親にはオーディションに通ったことも言っていなくて。合格者向けの説明会には親の同席が必要だと伝えられて、そこで初めて言いました。親も、もう訳も分からずにとりあえず行ってくれて助かりました。

ADVERTISEMENT

――晴れてアイドルになれたわけですけど、実際にやってみたらどうでしたか。

望月 アイドルって、顔やキャラクターだけじゃないんだなと思いました。入った頃は後藤真希さんや板野友美さんのような、ギャル・陽キャ枠を狙ってたんですよ。いるだけで華があるというか、グループの中で珍しいポジションにいればうまくいくと思って。

アイドル時代の望月さん(写真=本人提供)

 でも現実は違いました。周りには、小さい頃からダンスを習っていた子や、歌でNHKに出たことがあるという子ばかりで、私は歌もダンスも素人でした。練習の段階でついていけなくて、居残り練習もさせられて、泣きながらやっていましたね。自分より年下の子のほうができるのが悔しくて。

 ただ根性はあるので、朝誰よりも早く来て練習したり、レッスンの後はみんなが帰っても2時間練習したりしてました。デビューしてビジュアルが公開されるとSNSで「こいつは絶対すぐ辞めるでしょう」と拡散されて。それを見て「こいつらに負けてたまるか」って思ってましたし、結果として同期の中では最後までグループに残ってました。

――アイドルはやってみて楽しかったですか。

望月 ライブは福岡だけでなく、土日は東京に遠征ライブに行っていました。広い世界を見られることが楽しかったですし、どんどん壁にぶち当たって、悔しい思いをして、そこを乗り越えていくことには、やりがいもありました。

――どんな悔しい思いをしたんですか。

望月 私は髪が金髪で、編み込みにしていて、眉毛もないヤンキー全開のいかついキャラだったんですよ。ただ、HRは清純派のグループだったので、その中でヤンキーの子がいるとグループの色が潰れちゃうから、雑誌の取材なんかには出させてもらえなかったんです。

望月さんは現在、ポールダンサーとして活動している ©釜谷洋史/文藝春秋

――キャラを変えろとは言われなかったんですか。

望月 そう言われないために結果を出しました。私はHRで初めて、女の子に愛される子になったんです。だから当時はファンの9割が女性でした。男性ファンはホストかヤンキーか暴走族。それまでとはまったく違うタイプのファンが来ていて、私の握手会の列だけ治安が悪そうだったんですが、ファンの人数も売り上げも伸びていたので、何も言われなくなりました。

 ただ福岡以外の場所でライブや握手会をするときつかったです。見た目がヤンキーなので初見の人はなかなか私の握手会の列には来てくれなくて、2時間のイベントで誰も列に並んでくれないこともありました。それでもキャラを変えるのではなく素のヤンキーのキャラを貫き通しましたね。