外国籍で日本で暮らすことの厳しさも良さも、両親が教えてくれた

――デビュー当初や、『レディ・プレイヤー1』に出演されていた当時はまだミャンマー国籍だったかと思うんですが、苦労したことも多かったですか?

森崎 本当にたくさんありました。ミャンマーのパスポートだと、先ほど話した通りノービザで行ける国がすごく少ないので、どこに行くにもビザを取らなきゃいけないんです。『レディ・プレイヤー1』の撮影中も、国を移動することになったら、プロダクションの人たちが全部バックアップしてくれたんです。

 例えばアメリカに行くためには、まずアメリカ大使館に行って、「スポンサーがいるよ」ということを証明しなきゃいけないんです。あと国内での活動も、僕ははじめは扶養ビザで日本に来たので、日本のルールで週に働ける時間が決まっていたりしました。なので、ロケが決まったとしても、当時のマネージャーが時間を調整してくれたりしていましたね。

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©深野未季/文藝春秋

――行動にかなり制限があったんですね。

森崎 自立して興行ビザを取ってからは、時間の制約はなくなったんですが、興行ビザはそれはそれで制限があって。ライブハウスの作りによっては僕だけ出演できなかったりもしたんです。ビザは半年や1年に1回更新しなくちゃいけなかったので、更新するための書類の手配をマネージャーがやってくれたりもして。周りの方たちの力を借りて、芸能活動をさせてもらっていました。

――日本に住んでいるのに制限があるということに、もどかしさを感じたりはしませんでしたか?

森崎 そうですね。でも当たり前のことですけど、人様の国にお邪魔して住んでるわけだから、決められたことは守らなきゃいけないなと思っています。外国人に対する課題って、日本にも沢山あると思うんです。でも、ひとつの制度を変えるのにも何年もかかるし、厳しくする理由もあるから、すごく難しいなと思っていて。

 ただ、やっぱり外国籍で日本で暮らすのは本当に大変なんですよね。特に子どもは苦労すると思います。親はある程度、外国で暮らすことを決意して来てますが、子どもは連れてこられたり、日本で生まれたけど親が日本国籍ではないことで、思わぬ壁にぶち当たったりすると思うんです。

©深野未季/文藝春秋

――子どもにとっては、分からないことだらけですもんね。

森崎 そうなんです。ただ、僕の両親は素敵な教育方法をしてくれていて。ビザを更新するときに、入国管理局に連れて行ってくれていたんです。入管に行く方法とか、どれだけ人がいるかとか、こういうことを書類で書かなきゃいけないんだってことも知れて。そうやって、僕が自立するための準備をしてくれていたんですよね。だから、外国籍で日本で暮らしている方たちは、子どもたちにそういう教育をしてほしいなと思いますね。