――サンズに入った当初はまだ仙台から東京に通っていたんですか? 高校は県内でもトップクラスの進学校ですよね。
瀬戸 高校時代は仙台から通っていました。休み時間はみんな駿台の予備校のテキストや赤本を見ているような学校で、私は金曜日の放課後に仙台駅から新幹線に乗って東京に向かい、土日は仕事をして月曜日の始発で仙台に帰ってきて、8時20分までに高校に行くという生活を毎週送っていました。
「大学進学を諦めたくなかったんです。でも…」高校の出席日数が足りなくなり…
――忙しい中、学校の出席日数が足りなくなっても、事務所に伝えなかったそうですね。
瀬戸 芸能の仕事を一度始めたら、どうしても芸能で花を咲かせたくなったんです。ただ学校を優先するということは、その分、自分に来た仕事を削ることになるじゃないですか。
それがどうしても嫌で、無理をして事務所には伝えずにいたら、学校に行くのが大変になっていってしまって。移動中もずっと勉強はしていました。大学進学を諦めたくなかったんです。でも出席日数がどうしても足りなくなってしまって……。
――そこで芸能か大学を選ぶことになったわけですね。でも、どうして芸能の方を選んだんでしょうか。
瀬戸 大変なことも沢山あったけど、やっぱり芸能の仕事が楽しかったんです。両親や親友も喜んでくれていましたし。グラビアアイドルは一生できる仕事ではないと分かっていたので、グラビア以外のタレント活動、女優活動へシフトできるように頑張ってた時期でもあって、結局芸能の道を選びました。
「この先どうなるんだろう。お母さん、お父さんを喜ばせられるのかな」と心配していた
――当時の活動については雑誌のインタビューで「全部楽しかったけど、全部辛かった」と語っていますね。
瀬戸 将来の不安からくるものだったと思います。同年代の子たちは大学に行ったり、就職活動をしていく中で、私自身は大学を泣く泣く諦めていたので「この先どうなるんだろう。お母さん、お父さんを喜ばせられるのかな」と心配だったんです。
――お話を聞いているとつらい面の方が多い気もするんですが、それでも続けられたのはどうしてですか。
瀬戸 サンズという環境がすごくよかったんです。所属するタレントさんもみんな優しくて、いい子しかいなくて。野田社長は性格のいい子が大好きで、人を押し退けて上に行こうとする子、和を乱す子、悪口を言う子は嫌いでみんな辞めさせちゃうんです。
厳しい中にも愛がある環境でした。年に何回かスタッフとタレント全員で集まってハワイロケに行ったり、着物の撮影会をしたりと、集まる頻度が高かったんです。まさに野田ファミリーでしたね。
撮影=杉山秀樹/文藝春秋
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