アイドルグループに在籍しながら慶應義塾大学に合格し、現在タレント、ラジオパーソナリティ、コメンテーター、エッセイストと多彩な肩書きを持つ山崎怜奈。

 7月15日に全編書き下ろしエッセイ『すべては果てしない賭け』(角川春樹出版)を上梓した彼女に「濃密で、何も事件が起こらなかった年がない」というこれまでの歩みについて聞いた。

山崎怜奈 ©山元茂樹/文藝春秋

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「授業中に気絶していた」綱渡りの青春時代

 小学4年生ごろから不登校気味になり、「地元の学校に戻って再び同級生と生活を共にするのは考えられなかった」という山崎は、小6の夏という遅いスタートで中学受験を決意。合格した私立中高一貫校では父親との約束通り、中2・中3の2年間で学年2位以内の成績をおさめ授業料免除の特待生になった。

 そこへ、母親がこっそり応募していたアイドルグループのオーディションの合格通知が届く。高1でグループに加入したものの、退学すれば奨学金を返納しなければならないため転校は現実的ではなく、過酷な二足のわらじ生活が始まった。

 山崎は当時を「正直ほとんど覚えていない」「綱渡りのような日々」と振り返り、「授業の板書をノートに写しながら気絶していた」というエピソードも明かしている。

 それでも彼女はグループ在籍中に慶應義塾大学SFCへ合格し、卒業まで漕ぎ着ける。「学業と芸能という二足のわらじが、思いのほか自分の性に合っていた」と山崎は言う。「大学での勉強に疲れたら、ライブや握手会で気持ちが切り替えられるし、仕事がうまくいかなかったら、大学の講義や友達との会話に救われる」。その言葉は、修羅場をくぐり抜けてきた人間だけが口にできる、飾り気のない重みを帯びていた。

 25歳でアイドルグループを卒業した後も、「未練や後悔はない」と言い切る。人生は「どうにかするゲーム」であり、「根拠のない自信で先へ進んで、根拠は後から肉付けしていく」というのが彼女の哲学だ。

 新刊エッセイには、そうした「果てしない賭け」の一つひとつが詰め込まれている。妊娠という新たな局面を迎えたいまもなお、彼女の賭けは続いている。

「聞いている人にドン引きされる」という学生時代の過ごし方や、アイドルグループ卒業後のキャリア選択は、インタビュー本編でさらに詳しく語られている。

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