9月11日、秋篠宮妃紀子さまが還暦を迎えられた。紀子さまのお立場を大きく変えた、秋篠宮さまとのご結婚と悠仁さまのご出産。その節目ごとに、どのようなドラマがあったのか。秋篠宮家に詳しく、秋篠宮さまの貴重な肉声をつづった『秋篠宮』(2022年/小学館)などの著書をもつジャーナリストの江森敬治氏が、その歩みを振り返る。(全2回の2回目)

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41年ぶりとなる男子の誕生

「ごくろうさんでした」「帰ってまいりました」

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 2006年9月6日午前8時27分、悠仁さまが生まれた。身長48.8センチメートル、体重2558グラムの親王さまだった。皇室にとっては秋篠宮さま以来、じつに41年ぶりとなる男子の誕生だった。

2006年9月15日、秋篠宮さまに付き添われ、悠仁さまを抱いて愛育病院(東京都港区)から退院される紀子さま ©AFP=時事

 紀子さまは、東京都港区の愛育病院に入院していた。胎盤の一部が子宮口をふさぐ「部分前置胎盤」だったため、予定日より約20日早い帝王切開での出産となった。

 当時39歳、5日後に40歳の誕生日を控えていた紀子さまは、現皇室の最高齢出産となった。

 帝王切開手術は、この日午前8時23分に始まり、同9時7分に終了した。予想外の大量出血などもなく、「母子ともに手術後の経過も順調」で、手術室を出た紀子さまを秋篠宮さまが優しく出迎えた。それが前述したようなやりとりで、「ごくろうさんでした」と、殿下がねぎらうと、紀子さまは「帰ってまいりました」と、明るく答えたのだった。

愛育病院入院のため赤坂御所を出られる秋篠宮ご夫妻 ©JMPA

美智子さまも心配されていた「部分前置胎盤」

「私が初めて子どもを授かった四十数年前、前置胎盤は非常に恐れられていた状態でした。特に当時まだ20代半ばであった私は、お産は太古も今もそう変わるはずはないという思いから、その頃より更に一時代前、母が読んだという、安井修平先生の書かれたお産関係の本1冊を唯一の参考書にしておりましたので、その本で読んだ前置胎盤の怖い記述が思いだされ、大層心配いたしました。現在も危険の可能性こそ変わりませんが、その後の医学の進歩により、安全なお産に導いていただけることを知らされ、安堵いたしました」

紀子さま、新宮さま(悠仁さま)のお見舞いに訪れた上皇ご夫妻(当時は天皇皇后両陛下) ©JMPA

 悠仁さま誕生から1カ月余が過ぎた2006年10月20日に72歳の誕生日を迎えた上皇后美智子さまは、その折に発表された文書で、このように綴っている。美智子さまが、母子の状態を、とても心配していたことがよく分かる。