初インタビューは32年前
石田 全然そんなことないです。大学を出るまでは「大学生だし」と言い、結婚したら「子どもがいて忙しい」と言っては“逃げ場”を作ってきましたから。娘2人も成人していよいよ身一つになるまでは、ずっと言い訳しながら生きていたんですよ。
有働 いやいや。私が最初にインタビューさせてもらったのは1994年、ひかりさんが22歳でつかこうへいさんの舞台『飛龍伝’94』の主演をされた時でしたが。
石田 はい。その日のことをとてもよく覚えています。銀座のセゾン劇場でしたね。
有働 スカウトされてアイドル歌手としてもデビューして、映画やドラマの主演が次々舞い込むようになっていたのに、つかさんの舞台をどうしてもやりたいと志願されたのですよね。“逃げ場”という言葉と真逆で、演技への思いが強い人だなと感じたことが印象に残っています。
石田 牧瀬里穂さんの『飛龍伝’92』を観て心の底から感動しまして。つかさんに「次があるならぜひ私にやらせてください」と直談判しました。「わかったわかった。次はお前でやるからよ」という簡単な口約束でしたので2年間はまったく音沙汰がなく、やっぱりダメかなと思っていた頃に正式にお話をいただきました。
有働 念願が叶ったわけですね。それが転換点になりましたか?
石田 もちろん、つかさんとの出会いには大きな影響を受けました。が……、恥ずかしながら、私、つい最近まであまり深く物事を考えることなく人生を送ってきてしまいまして……。
有働 そう? 忙しいですもんね。
石田 それが言い訳です! もちろんいただく仕事は一生懸命やってきましたが、それを深く掘り下げたり、振り返って反省したり、先のことを考えたりはあまりしてこなかったんですよね……。
有働 正直〜。大体みんな後づけでそれっぽいことを語るものです。
※約8500字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』と『文藝春秋』2026年10月号に掲載されています(石田ひかり×有働由美子「夫と娘に家事卒業宣言」)。
・ “家事卒業宣言”と家族への思い
・メリル・ストリープの姿に感動
