2005年に人気ドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)で俳優デビューし、スーパー戦隊シリーズ『炎神戦隊ゴーオンジャー』(テレビ朝日系)で主演を務めた俳優・古原靖久さん。

 彼には、高校を卒業するまで児童養護施設で暮らしていた過去がある。「やるかやられるか」という過酷な環境の中で、どのように生き抜いてきたのか。古原さんが語った壮絶な子ども時代とは。

 俳優の古原靖久さん ©文藝春秋

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「おい、何日もおむつ替えてないじゃないか」幼い日の記憶

 古原さんは「お母さんが16歳のときに産んだ子ども」だ。両親はともに夜の仕事に就いており、幼い古原さんは何日もオムツを替えてもらえないまま放置されることもあった。おじいちゃんが遊びに来るたびに「おい、何日もおむつ替えてないじゃないか」と両親が叱られる光景を、古原さんは幼い目で見ていた。

 両親の離婚後、母親に引き取られた古原さんだったが、シングルマザーとしての生活は限界を迎え、5歳のころに児童養護施設へと入所することになる。

「年上の先輩たちからの暴力も日常的だった」過酷だった施設での生活

 施設での生活は、想像を絶するものだった。先生から理不尽に怒られ、朝8時から夜中の3時まで正座をさせられたこともある。洗濯は洗濯板を使って自分でこなすよう命じられた。さらに、年上の先輩たちからの暴力も日常的だったという。

「お前ら、暇だから今から戦え」と言われ、友だち同士で殴り合わされることもあった。エアガンで撃たれることもしょっちゅうで、古原さんの鎖骨には今も3つの跡が残っている。

「トイレに勝手に行った」というだけで撃たれたときには、「もう何やっても終わりじゃん」と思ったと古原さんは振り返る。

 

小学5年生のときを最後に母親が施設に来なくなり…

 それでも、過酷な環境の中で古原さんは「生き抜くすべ」を身につけていった。「自分に対してこの人がどう思っているのか」を敏感に察知し、先回りして行動する処世術を、気がつけば自然と習得していたという。

 母親との別れも、少しずつ現実のものとなっていった。小学5年生のときを最後に母親が施設に来なくなり、「捨てられた」と認識するまでに2年かかったという。それでも古原さんが本名で芸能活動を続けてきたのは、「どこかで見てくれてるんじゃないか」という思いからだった。

 壮絶な子ども時代の詳細や、母親の死を知ったときの心境については、インタビュー本編で詳しく語られている。

〈つづく〉