「さわやかイレブン」や「やまびこ打線」といった愛称で親しまれ、甲子園で3度の優勝を誇る名門・徳島県立池田高校。山間の公立校を全国的な強豪に育て上げたのが、蔦文也監督だった。昭和に日本中で愛された男は名将だったのか、それとも――。
“高校野球の神様”になった監督の知られざる謎に迫ったミステリーノンフィクション『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』(著:田中仰)が発売即重版となるなど、大きな注目を集めている。『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞した作家・門井慶喜氏による書評をお届けする。〈全2回の後編/第1回とあわせてお読みください〉
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金持ちの家の長男に生まれ、両親に愛され、同志社を卒業したほどの「お坊ちゃん」が、どうして酒びたりの中年男になったのか。
こういうくだりにさしかかれば、ふつうの著者なら、ここぞとばかり声を張り上げるだろう。戦争体験のトラウマだとか、実家の没落による絶望だとか、野球部の監督として結果が出ない焦りだとか。
わかりやすい上、深刻っぽさの主張になる。だが本書の著者はちがう。それらの可能性を考慮しつつも、そうして蔦文也の属する戦中派世代そのものの心のありかたを知るべく膨大な本を読みつつも、安易な結論には飛びつかない。
読者はそれがもどかしくて、ページを次々とめくってしまう。めくるうち少しずつ、さらに重要な細部が明らかになる。ここでは概略をなぞるにとどめるが、監督に就任してから20年後、池田高校野球部は、はじめて甲子園に出場した。
