実在する天皇は誰からか
水谷 推古天皇や蘇我馬子、聖徳太子(厩戸王)が活躍する7世紀まで来れば、文献から人物像も明らかですが、6世紀以前は曖昧です。そもそもどの天皇から実在するのかさえ、よくわからない。河内さんが実在を認めるのはどの天皇からですか。
河内 系譜を直接遡れるのは継体天皇まで、が私の立場です。もちろん、それ以前にも大王はいます。5世紀後半のワカタケルは、稲荷山古墳の鉄剣銘にその名があり、実在が確実です。4世紀後半には、第15代応神天皇のモデルとされるホンダワケがいて、百済と七支刀をやり取りしている。ただ、個々で存在を確認できる大王らが、系譜としてどうつながっているかが問題です。
水谷 私は、実在の可能性なら第10代の崇神天皇まで遡れると考えています。ただし崇神以後、記紀の系譜通りに続いたとは思わない。応神以降は、記紀の記述がおおむね史実であろうとする点が、河内さんと違うところでしょうね。
河内 『日本書紀』の記述通りであれば、崇神天皇から仲哀天皇までの5代で約300年です。飛鳥時代でも在位期間は平均10年ほどですから、その5人だけ在位が各60年というのは無理がある。もっと多くいたはずの大王を、記紀では5人に集約したのだと思います。
水谷 実在性だけでなく、血統のつながりも、男系世襲だったのかも、まだはっきりしない時代です。第33代の推古天皇ですら、「朕は蘇我より出づ」と、父の欽明天皇よりも母方への帰属意識を示したと『日本書紀』にある通りです。
※約6500字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』と『文藝春秋』2026年10月号に掲載されています(水谷千秋×河内春人「禁断の『継体天皇』対談 万世一系か、始祖王か」)。
・倭の五王と空白の王統
・なぜ継体天皇は「応神天皇五世孫」なのか

