今年3月、同志社国際高校2年生だった武石知華さんが沖縄研修旅行で乗船した抗議船が転覆し、知華さんと船長が死亡した。知華さんの両親は7月、学校関係者や抗議船を運航していた活動団体関係者らを、安全管理義務違反等の容疑で刑事告訴した。

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武石知華さんの人生の歩み

 父はかねての快活さが失われた妻を、次のように案じる。

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「卒哭忌(そっこくき)」という言葉を今回初めて知りました。百箇日のことで、喪った人への悼みと悲しみにひとつの区切りをつけるとの意味だそうです。もともと妻は行動的なタイプで、家庭でもリーダーシップは妻。夫婦喧嘩らしいことはほとんどなく、娘たちと4人、どこへ行くにも笑いの絶えない家庭でした。それが、次女を喪ってから妻は文字通り100日間泣き続け、起き上がれませんでした。

 妻がようやく起き上がれるようになったのは、7月になろうかという頃でした。その間、私は死亡届を提出し、知華の銀行口座やスマホを止めるなど、諸々の手続きで慌ただしく過ごしていました。

研修旅行先での知華さん(両親提供)

 知華は赤ちゃんの頃から可愛らしく面白い子でした。ジャカルタで3歳からインターナショナルスクールの幼稚園に入り、多言語社会で一生懸命に勉強して言葉を覚える。真面目な、ほんとうにいい子で、ママのことが大好きでした。

 コロナ禍の中、4歳上の長女が同志社国際高校を受験するため妻と帰国。11歳の知華はビザ更新の手続きが長引いて出国できず、離れ離れになりました。私が在宅ワークをしながら、3カ月ほどジャカルタで2人暮らしだったのですが、知華自慢のきれいな髪がごっそり抜けてしまいました。それほどママが恋しく、心細かったのでしょう。そんな試練を乗り越えて小6で帰国し、「おねえちゃんと同じ学校に通いたい」と、同志社国際の中等部を受験しました。知華は学校が大好きで、私たち夫婦も自由で他者の尊厳を重んじる学校の教育方針に賛同し、信頼していました。

同志社国際高校の前で(両親提供)

 事故直後、知華が「基地移設抗議活動に参加した高校生」だと某メディアが報道すると、ネット上は「自業自得」「頭の緩い高校生」といった誹謗中傷で溢れました(当該メディアは後に訂正)。ですが、事実は違います。学校側は「抗議船」に乗船することを保護者会で事前説明しておらず、私たちは知華が亡くなって初めてそのことを知ったのです。