「めったに表に出なくなった」伝説のクイズ王・水津康夫さんがついに文春オンラインに登場! クイズ王の友人・道蔦岳史さんを相手に、“強敵・西村顕治”のことから、大人気番組の裏話まで語っていただきました。あの「水津・西村時代」の全貌が今、明らかに! (全2回の対談前編/後編へ続く)

「こんなふうに話すの初めてだな」水津康夫さん(左)と道蔦岳史さん

この対談も受けるべきか躊躇したんだけど

道蔦 水津さんにお目にかかるのは去年、広島のクイズ大会以来でしょうか? 

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水津 そうだと思うけど、まあしかし、お互い知り合ってから長いね。道蔦さんが出題者、私が解答者として出演したTBSの『史上最強のクイズ王決定戦』が何年前?

道蔦 平成とともに始まった番組ですから、1989年。29年前です。『ギミアぶれいく』の中で始まった、大型クイズ企画でした。

水津 29年前……。私はその頃39歳とかそれくらいでね、道蔦さんだって若かったでしょう。

道蔦 27歳ですかね。

水津 そうか、あなたとは一回り違うのか。クイズっていうのは、年齢関係なく友達になれるからいいんですよね。「史上最強」が終わってから、私はめったに表に出ないんですよ。この対談も受けるべきか躊躇したんだけど、「道蔦さんが相手というなら、これはしょうがない」ってやってきました。

 

道蔦 ありがとうございます。で、今日は「めったに表に出なくなった」水津康夫が降臨したということで(笑)、あの「クイズ王ブーム」の頃の思い出を中心に色々お話を伺えたらと思っています。

水津 まあまあ、どうなりますやら。

『アタック25』で目をつけていた

道蔦 それで、最初に水津さんと僕が出会ったのは何だったか、思い出して来ようとしたんですけど、全然思い出せない。

水津 さて、いつだったかな?

水津夫人 明治大学の学園祭。

水津 ああ、あれか。クイズ仲間と一緒に、様々な大学の学園祭に行って、クイズ研究会のイベントを楽しんでたんですよ。ちょうど道蔦さんが『アタック25』、私は「パネル」って呼んでるんだけど、あの番組で強い勝ち方したのを妻が興奮して教えてくれたんです。その強い子が明大の学園祭にくるって聞いたんだ。

水津夫人 『アタック25』で道蔦さんが最後の難しい絵当て問題で「スカラ座」って正解したの覚えてますよ。

道蔦 なるほど。1981年、僕が大学2年で『ウルトラクイズ』に出た後ですね。それがお互いの初めての出会いだとすると、37年もお付き合いがあるのか。

 

水津 私はそれまでに、3年に2回くらいの頻度でテレビのクイズ番組に出ていたんです。まだあの頃はクイズブームでもなければ、クイズ仲間を見つけるのも難しい時代でしたけど、クイズ番組で活躍した一般人の草分け・村田栄子さんが主宰する「ホノルルクラブ」というクイズサークルでみんなと遊んだりしていた。道蔦さんは、その中でもうんと若い友人です。